ろぐの垂れ流し

LOVE定額の相手に着信拒否されたことあるか?!

今泉力哉監督『窓辺にて』

 12月1日映画の日の夜に、『街の上で』がたまらん好きな今泉力哉監督の新作『窓辺にて』を鑑賞してきました。

 

 『街の上で』よりもずっと笑いもテンポも抑えてきたなぁと思っていたら、序盤の気まずさと居心地悪さを強調する映画のモードが中盤からぶんぶんバイブス効かせ始めて、ラストにかけて脚本の妙技の天丼状態。

 

 うわー、面白かった!

 

 「感動した」とか「心に響いた」とかじゃないのです。『街の上で』よりも、今泉力哉氏が脚本を手がけた『愛なのに』よりも、本作では笑いがぐっと絞られているのだけど、それでも鑑賞後に一番初めに出てくる感想は「面白かった!」なんですよね。

 

 『十三人の刺客』の演技がトラウマになっている稲垣吾郎の主演作を初めて観たのですが素晴らしかったです。作り過ぎない適当に力を抜いた演技の塩梅が最高。当て書きオリジナル脚本が存分に活かされたキャラ造形になっていました。

 

 食事のシーンも大好きなシーンが沢山ありました。今泉監督は意識的に飲み食いをドラマに盛り込んでくるので大好きなのです。マスカットを皮ごとシャリシャリと食べる咀嚼音の気詰まり感とか、おかんの握るでっかい塩結びとか、もうほんとたまらん。遠慮無しに咀嚼音を録っていく録音も良かったなぁ。

 

【ここからネタバレ可能性あり】

 

 『街の上で』では主人公の青年、荒川青(若葉竜也)が自意識過剰の空回りを卒業して、下北沢という街のメンバーシップを獲得する成長物語だと捉えているのですが、本作の稲垣吾郎演ずる市川茂巳は既婚の中年男性で、鑑賞後すぐには私にはこの映画の構造というかテーマが少し捉えづらかったです。役柄への共感が邪魔をしたのか・・・作中なぜか主人公市川茂巳の言動に身につまされるところが多かったです。私はあんなに格好良い男ではないのに。

 中盤に稲垣吾郎がある人物から言われる「あなたは私に似ている。心の中で人を見下しているところがある。だから人に相談できない。相談されることはあっても。」というセリフは今泉力哉監督のツイートにも言及があるので明らかにこの映画のキーになるものなのでしょうが、映画前半を観て明らかに善人で好印象の役柄である市川茂巳になぜ「心の中で人を見下している」という性格づけをする必要があるのか鑑賞中に私は戸惑いました。この「人を見下す」というワードがちょうど中盤にポンと投げかけられて、鑑賞者ののどに引っ掛かります。人に言われればとても居心地の悪い評価です。だけどもその居心地の悪さをもって、前半の市川茂巳のモヤモヤを振り返り、そしてラストに向かって、その居心地悪さが全て綺麗さっぱりハーピーエンドとはいかないまでも、いかに軽くなっていくのかに鑑賞者をフォーカスさせるとても重要なシーンでした。

 

 居心地の悪さ、モヤモヤがこのシーンを起点に別の感情にクロスフェードしていくのです。

 

 ラスト近くで茂巳が劇中小説『ラ・フランス』を読んでいる時に、その劇中小説の著者を演じる玉城ティナの朗読が被せられます。そこで一際印象に残るのが「(大意)正直さは何よりも素晴らしい」というものでした。冒頭から、玉城ティナの朗読が茂巳の心象にリンクしている演出が繰り返されていることから、茂巳が「正直さ」に行きついたことが表現されていると捉えたのですが、それがなんとも嬉しいというかホッとするというか。

 なぜなら、そこで私は茂巳が前半でモヤモヤしながら「人を見下している」と評される印象を周囲に与えていたその原因は、自己愛よりももっと切実な「心の鎧」の作用だったのだと思えてきたのです。茂巳が、大袈裟な反省や自己変革の経ることではなく、ただ他人の受容と自己開示の振り幅をほんの少しずつ大きくしていく過程で、前よりもずっとずっと生きやすい「正直さ」という地平に立てたのだと考えたのです。それが嬉しい。中年男性のアイデンティティクライシスに、冒険や背徳的なロマンスや酒や薬物や暴力も無しに、ただただ良き人として良き会話を重ねる努力を続けることで、生きやすい自分の型を身に付けていく。なんだか、自分にでも手の届きそうな境地で素敵なのです。

 

 鑑賞からすこし時間がたって、私なりになんとなくなぞられたこのストーリーラインは、やっぱり驚くほど『街の上で』に根っこではつながっていて、主人公が自縄自縛のギクシャクから開放されていく遷移(『街の上で』では成長)の過程を丁寧に描いているのだと思います。「引いて足す」をすることで、無くなってしまった愛情関係を再定義し、鈍ってしまった自分の感情のモーメントを再構築していく構図はジェイク・ギレンホール主演の『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』にも通じるところがあるなと感じました。

 

 全編おだやかなトーンで進む本作ですが、茂巳が決定的にニューバージョンの彼になっていく瞬間を映すエキサイティングなシーンがあります。私には茂巳が妻の紗衣(中村ゆり)に不倫のことを知っていると打ち明ける12分の長回しよりもそのシーンの方が素晴らしいと思いました。その妻の紗衣との会話シーンは会話が進みながらパワーバランスがぐらぐらと変わっていく絶妙の脚本と演出で確かに本作の白眉とも言えるシーンですが、私が最も好きなのは妻(そのシーンのタイミングでは元妻)紗衣が編集担当に就いており、かつ肉体関係にあった若手売れっ子作家の荒川円(佐々木詩音)と正対して、紗衣との関係や創作について会話をするシーンです。声を荒らげることもないタイマンシーン!このシーンの稲垣吾郎の格好良いこと!さすがサイコパスなお殿様を演じて賞を獲った役者です。作中、まるでふわふわと漂流してきたような茂巳が、ここにきて大人の貫禄とプロフェッショナルとしての凄みをもって、どーんと若手作家に胸を貸すわけです。瞬間瞬間に鋭利な感情を差し込みながら、それでも相手に対する理解と敬意を忘れず。

 

 自分の感情は自分で決めるという怒りと、相手への受容を同時に大きく発動した静かで熱い、鬼気迫りながらも穏やかな、とんでもなく凄い演技合戦でした。あのシーンだけで映画チケット代の元を取ったと思えます。

 

 あまり多くの出演作を観ていなかったのですが、稲垣吾郎はとんでもなく凄い役者でした。