ろぐの垂れ流し

LOVE定額の相手に着信拒否されたことあるか?!

映画『空白』吉田恵輔 監督・脚本、古田新太、松坂桃李 主演

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【あらすじ】
はじまりは、娘の万引き未遂だった―。
ある日突然、まだ中学生の少女が死んでしまった。スーパーで万引きしようとしたところを店長に見つかり、追いかけられた末に車に轢かれたというのだ。娘のことなど無関心だった少女の父親は、せめて彼女の無実を証明しようと、店長を激しく追及するうちに、その姿も言動も恐るべきモンスターと化し、関係する人々全員を追い詰めていく。(公式H.P.より)

 先週の日曜日に家から歩いて行ける映画館でかかっているのを知って、ふらっと観てきました。

 役者がひとり残らず素晴らしいです。浮いてる人が一人もいない。すごいことですね。もちろん、古田新太松坂桃李も良い仕事しています。寺島しのぶが役柄に対して少し美人すぎるのが難点なくらい。

 ダントツは片岡礼子さんでした。

 お葬式の場で古田新太と対峙するシーンがあるのですが、そこでの片岡礼子さんの口上の迫力たるや! 決して威勢の良い台詞ではありませんし、威圧的なものでも攻撃的なものでもありません。だけども、人の親として真に迫った、静かだけども素晴らしい演技をしていました。「そこまで背負わなくても」と思わせるまで鑑賞者を引き込むあのシーンは、本作のメッセージを構成する相当に重要なピースであると思います。お恥ずかしながら『ハッシュ!』で認知して以降、『犯人に告ぐ』『外事警察』『ラーメン食いてぇ!』を観ているのに印象に残っていないので、改めて『愛がなんだ』『Red』あたりで勉強しなおさなきゃと思いました。話を戻すと、片岡礼子さんのそのシーンだけでチケット代の値打ちがあります。

 それに古田新太の漁師の弟子役を演じる藤原季節、彼の素直で真っ直ぐな演技がよい。この映画の救いでもあります。彼の配役が無かったらこの映画はとんでもない泥仕合になっていたでしょうね。

<ここからネガティブコメント>
 いい映画・・・なのですけど私のフェイヴァリットにならないなにかの要素があるんだろうなと、鑑賞後にずっと考えていました。冒頭から私が画面の中で追いかけていたのは地銀の看板だったり、なにかしらこのロケ地が日本のどこだということを判別できる手がかりでした。冒頭の漁のシーンが良く描けているので余計に気になります。中盤以降、それが愛知県蒲郡市であることはおおぴらに作中で示されるのですが、それまでにどうも尻の座りの悪い印象を拭えないのです。
 作品の絵がなんとも言えずニュートラルなのです。無味無臭と言いますか。
 そこが、例えば『岬の兄妹』とは全く違う。この映画は文脈の固定を敢えて避けているような。
 同じことが古田新太の台詞回しにも出ていると感じました。松坂桃李の役柄であれば大学進学後にどこかに就職し、Uターンして家業を継いだというのを容易に想像できるので台詞回しのクセの無さも分かるのですが、三河地方で漁師をやっている古田新太の役があんなにキレイな喋り方をするはずがない、と宮崎県日向市の漁師町で育った私は思います。
 別に三河の土着性をリアルに出せと言いたいわけではないのですが、この作品全体に漂う「無味無臭感」がどうしても気になるのです。
 それはさらに古田新太のモンスター演出にも出ているように思われます。
 どうしたって『葛城事件』の三浦友和や『ビジランテ』の大森南朋には本作の古田新太は敵わない。『震える牛』の古田新太を強烈に覚えている私にはそこが気になって仕方がないのです。
 ではお芝居にのめり込まず、メッセージに焦点を当ててほしいのかと解釈すると、そこにも大きなハードルを据えられる脚本であると言わざるを得ません。隙間で狭く深く存在感を発信する作り方をしなければ、この設定及び脚本だと化け物みたいに良く出来た『スリー・ビルボード』と真っ向勝負になってしまいます。役者同士の魂の摩擦で角が丸まってお互い様よねという話の運びで『スリー・ビルボード』は絶対に喧嘩したらだめな相手だと思うのです。
 そこを比較対象にすること自体ナンセンスだという向きもあろうかとは思いますが、だとしたら「そこじゃないここで勝負!」の土俵際があまりにも曖昧だというの私の感想です。