ろぐの垂れ流し

LOVE定額の相手に着信拒否されたことあるか?!

ボストン・テラン著『音もなく少女は』文春文庫

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 9月30日時点で私の2021年文芸作品ナンバー1です(たいして数は読んでおりませんのに恐縮ですが)。いやはや・・・震えました。そしてほぼ一ヶ月と読み終えるまでの時間はとても長くかかりました(ボリューム自体は文庫版480ページです)。数ページをめくるごとに息継ぎをするように本を閉じて目を閉じて休まないと、この作品に掻き立てられた自分の感情に埋もれて溺れそうになるからです。

 もともと、馳星周『少年と犬』が直木賞を獲って話題になっている頃、私のなかで気になっていた小説は、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」にゲスト出演して本を紹介していた野良読書家集団Riverside Reading Clubがとりあげたボストン・テラン著『その犬の歩むところ』でした。早速『その犬の歩むところ』と、Riverside Reading Clubが『その犬の歩むところ』を読むきっかけになったという『音もなく少女は』を購入して、そのまま積んでしまっていたその2冊のうち表紙が気に入った『音もなく少女は』を先に読み始めました。

 翻訳はミステリを中心に膨大なキャリアを持つ田口俊樹氏。安心のブランドです。その田口氏の仕事も素晴らしく、翻訳作品ながらボストン・テランの文体が静かに炸裂していました。設定と世界観はハードボイルドで文体もそれに沿ったものではあるのですが、登場人物の心情描写や主人公イヴの撮る写真の描写にとてつもなく詩的で美しい表現が散りばめられて素晴らしいのです。暴力描写にスラング表現も有りながら、時折スイッチが入ったように、途端に神々しいまでの言葉の綺羅星が溢れてくる。信仰とその否定というテーマも織り込まれており、そこにも絶妙に呼応した生き死にや愛憎にまつわる結晶化した言葉の数々。本当に豊かな読書体験でした。

<あらすじ>
貧困家庭に生まれた耳の聴こえない娘イヴ。暴君のような父親のもとでの生活から彼女を救ったのは孤高の女フラン。だが運命は非情で……。いや、本書の美点はあらすじでは伝わらない。ここにあるのは悲しみと不運に甘んじることをよしとせぬ女たちの凛々しい姿だ。静かに、熱く、大いなる感動をもたらす傑作。(解説・北上次郎

 ・・・ごくごく単純化すれば、クソみたいな男達とそいつらが作った社会に抗う女性たちの連帯と悲痛な運命、愛と暴力の物語です。

 辛い、辛い、泣く、立ち上がる、戦う、辛い、辛い、打ちひしがれる、光を見る、戦う・・・。ケネディ大統領が暗殺された1963年前後の米国ニューヨークの貧困街で聴覚障害を軸に引き寄せられ絆を結んだ数人の女性の文字通り血の滲むような生き様が描かれます。

 フェミニズムが明示的に語られることはないのですが、これはフェミニズム文学の傑作と呼んでよいと思います。ディーリア・オーエンズ著『ザリガニが鳴くところ』が好きな方には是非読んで頂きたい! 恵まれない境遇の女性が学び、これぞという得意分野を持つことで社会と繋がり、ついには残酷なのに爽快なクライマックスを迎えます。『ザリガニが鳴くところ』が純文学との境界をゆらゆらと跨ぎながら最後までミステリプロットを隠し玉的にキープし続けたのと対照的に、本作ではオープンリーチのベタ足インファイトボクシング。それだけに導入分の仕掛けの回収とラストのドラマチックなこと! 鳥肌と涙と鼻水が一度に出ました。

 最後に、私がこの小説の真髄だと感じた一節を引用します。

『 イヴがそんな愛を交わしたいと思うのは、チャーリーには直接言えないことながら、感じているからだった――ミミにしろ、自分にしろ、フランにしろ、クウィーニーにしろ、男たちには誰も守ることなどできないと感じているからだった。もちろん、それをチャーリーやナポレオンのせいにするのは正しくない。彼らが悪いのではないのだから。しかし、心から愛する相手に、自分が知っている中で最も強かったのは女だなどとどうすれば説明できる? その女性といるときが一番安心できるなどとどうすれば言える? どうすればそのような考えを超えてこの愛する男にたどり着ける? この愛する男を傷つけることもなく、怒らせることもなく。傷つけたくも怒らせたくもないのだから。
 眠れぬ夜を過ごしながら、イヴは思った――そういった点でも自分はほかの女とどこかちがっている。しかし、それは自分のこれまでのおいたちのせいで、特別でたまたまのことなのだろうか。それとも、自分が思っているよりずっとありふれたことなのだろうか。ほかの女もみな感じ、知っていながら、あえて口には出さないことなのだろうか。』(P.344)

 ハードカヴァーで出版されていないのが残念なくらい大好きな作品になりました。