アロンソ・ルイスパラシオス監督・脚本『ラ・コシーナ/厨房』

アロンソ・ルイスパラシオス監督・脚本『ラ・コシーナ/厨房』をヒューマントラストシネマ有楽町で鑑賞しました。
鑑賞の動機の半分はルーニー・マーラでしたが、『ディナーラッシュ』『二ツ星の料理人』『ボイリングポイント』『ソウルキッチン』『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』などなどレストラン映画に大好きな作品が多い私、おしゃれなグルメ映画を期待してスクリーンの前に座りました。そしてすっかり油断していた私は華麗なアームロックで肘関節を折られたような衝撃を受けました。
この作品は痛烈な社会批判と風刺を効かせたプロレタリア映画だったのです。食欲の失せるレストラン映画も珍しい。咥えタバコの料理人が往来する厨房、物語の進行とともに混沌が増し、壊れ汚れていく厨房。裏方のあの様子を見ると外食を避けたくなるほどげっそりします。直接的には書きませんが私には生理的に受け付けられないネタが他にも2〜3ありましたのでぜひ鑑賞してげっそりしてみてください。そもそもグルメ映画をわざわざモノクロで撮りませんよね。
扱うテーマは移民問題、人種差別、性差別、ルッキズム、ホモフォビア、ブラック労働、自己の無謬性を疑わない資本家と労働者の断絶、システムの無自覚な暴走、中間マネジメントの欺瞞、自由経済と消費社会の罪悪、テクノロジー批判、金融への疑念、熟練技能をコモディティ化してしまう資本経済批判、恋愛、家族愛、セックス、妊娠中絶・・・書いていて胸焼けがしてきます。ストーリーのメインとなる恋愛パートの結末は、悲しいけれどもトリックの回収と映画の破綻が絶頂を迎えるトリガーと上手くシンクロされていてこの脚本は本当に上手だと唸らされました。
映像面ではライティングとフレーミングの技巧を凝らしたカットが盛りだくさんで私はかなり高揚しました。特に舞台となる大型レストラン「ザ・グリル」の裏口から建物内に入るシーンでの幾何学を強調するカメラでレストランのバックヤードを写しますが、ここはあとでパソコンのCRTモニターでセルフパロディされています。本当に上手い。俳優の顔を映す時のライティングもフィルムアート社の本に教材で出てきそうなカットが盛りだくさんで楽しみました。主役2人の水槽を挟んだラブシーンは最高!
冒頭にレストランの管理職の男性を映すシーンがあります。管理職者が居座るデスクにウインドウズPCがあってハードディスクの作動音を聞かせながら前述したCRTモニターのスクリーンセイバーを映しています。それは3Dダンジョン的な迷路を進む画面でした。作品の導入部で主人公が舞台となる店を訪れるときに迷宮のように猫写される店舗の建築は清掃員や配達員を映すことで暗く深い印象ながらもまだ人間味を感じさせます。ところがその後の「カチカチ」という機械音を背景にぐりぐりと動く迷路のスクリーンセイバーを画面に映すシーンのなんと非人間的なことか。そこから厨房と料理人に映画のフォーカスは移るのですが、私が印象深く観たのは料理人やホールスタッフ同士の分断です。料理を拵え客に提供するという経済活動で最もプリミティブな部類に属する職業がシステムによって分業化され、従業員が分断されている様子が描かれているのです。厨房のシステムがスムーズに動かなければ一皿を客に供することができない。そのシステムを支配することによって従業員を搾取するレストランというマシーンが本作のメインテーマだと受け取りました。食べる人がお代を払って料理をしてもらうという根源的な経済活動に恐ろしく搾取的な作動が働いていることをこの映画は描き、その破滅的な反作用を見つめます。
余談ではありますが伝票を打ち出すあの機械が映画『わたしを離さないで』のリストバンドとその読み取り機械を想起させました。
イェジー・マードル 監督『プラハの春 不屈のラジオ報道』

これは面白かった!ネトフリ、アマプラが配信しそうにないのでご近所でやっている映画館があったらぜひスクリーンでご鑑賞ください。
社会派っぽい堅苦しい印象を持たれがちですが、これはガチンコエンターテイメントです。しかもスパイスリラー、ポリティカルサスペンスの要素も有り、当時のポップスもがんがんにかかるのでラストまでダレることなく楽しめる傑作でした。
社会主義体制下のチェコスロバキア(現在はチェコ共和国とスロバキア共和国)国営ラジオ放送局の話なのですが、時代は1968年、「プラハの春」と呼ばれる自由化運動とその後のソビエト連邦軍を中心とするワルシャワ条約機構軍の軍事介入が背景です。パンフレットに書いてあって驚いたのですが日本のラジオ番組「オールナイトニッポン」が放送開始されたのが1967年10月2日だそうであの頃、あの時、だったのですね。
私にはさっぱり意味の分からない映画でしたが『存在の耐えられない軽さ』が同じプラハの春を時代背景としています。反動的軍事介入によってチェコスロバキアの社会主義統制はより厳しくなり1989年のビロード革命までの20年間にわたり国民は自由を奪われた生活を強いられます。1989年末にはおとなりのおとなりにあるルーマニアでも革命が起こりチャウシェスクが処刑されれるのですが、そのチャウシェスク政権下の大学生を描いたのが私の大好き映画『4ヶ月、3週と2日』です。1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊しますが、その直前にベルリンで八面六臂の活躍をしていたのが『アトミック・ブロンド』のシャーリーズ・セロンで、東ドイツから亡命を図ったのがこれまた超大好き映画『東ベルリンから来た女』。東西統合直後だと『グッバイ、レーニン!』なんて最高な作品もありますね。
なんか好きな映画がたくさんあるなこの時代設定・・・。
本作『プラハの春 不屈のラジオ報道』に話を戻すと、監督も影響を言及している『アルゴ』『グッドナイト&グッドラック』や『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』『スポットライト 世紀のスクープ』が好きな方には間違いなくおすすめできる胸熱映画です。
私としては世間の評価は低いですけども大傑作だと思っているSF『囚われた国家』を連想させるラストがたまらなかったです。
あのラストの眼差しがあったからこその20年後のビロード革命(平和的な政治転覆)が成し遂げられたんじゃないかと勝手に想像していました。
『帰還兵はなぜ自殺するのか』デイヴィッド・フィンケル 著、古屋 美登里 訳、亜紀書房

【内容紹介(亜紀書房ウェブページより転載)】
ピュリツァー賞作家が「戦争の癒えない傷」の実態に迫る傑作ノンフィクション。内田樹氏推薦!
本書に主に登場するのは、5人の兵士とその家族。 そのうち一人はすでに戦死し、生き残った者たちは重い精神的ストレスを負っている。
妻たちは「戦争に行く前はいい人だったのに、帰還後は別人になっていた」と語り、苦悩する。
戦争で何があったのか、なにがそうさせたのか。
2013年、全米批評家協会賞最終候補に選ばれるなど、米国各紙で絶賛の衝撃作!
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イラク派兵されたアメリカ陸軍兵の、帰還後にも続く困難や苦痛を取材したノンフィクションです。特に精神的な病や希死念慮、自殺行為について書かれています。内容が辛くて読み終えるのに2ヶ月かかりました。翻訳の文体は早川ミステリを読んでいるようなとっつきやすいものでしたが、複数人のストーリーがパラレルに進行するので頭に入りにくいところもあり、そこは深追いせずに淡々と読み進めました。が、2ヶ月かかりました。次が楽しみでページを繰る手が止まらなくなるような本ではありません。
書かれている内容はイラク戦争の帰還兵のPTSDの症状、家族への暴力やアルコール依存、ケアや治療のことが中心なのでフラッシュバックの描写以外は戦争の状況を描くパートは少ないのですが、それでもやはり凄惨です。
とにかく言えることは、道路や橋や建物を壊し、航空機や船や車両や兵器を壊し、究極的には人体を壊し死に至らしめることを目的とする「戦争」に耐えられるように人間の精神は出来ていないということです。「・・・教育でできない補完的な部分というか、日本だったら『益荒男(ますらお)』に『手弱女(たおやめ)』があるように『益荒男』の部分を体感することができるっていうので、兵役は教育的な役割があるなと思う」とYouTube番組で自説を開陳していたタレントが今や参議院議員となっていますが、ぜひ本書を読み、内容を飲み込んだうえでその考えを維持できるか試してみて欲しいものです。
戦争のあいだ、毎日が同じように始まった。兵士たちは幸運のお守りをポケットに入れ、最後の言葉にまつわる冗談を言い合った。素早く円陣を組んで祈りをあげ、最後の煙草を吸った。防弾チョッキのベルトをきつく締め、耳栓をし、耐破損性サングラスを下ろし、耐熱性グローブをはめた。「出発」という号令とともに、ハンヴィーに乗り込んで進んでいった。道路の先で自分たちを待ちうけているのが何か、よくわかっていた。兵士たちは、ハーレルソンのハンヴィーが宙に高く吹き上がり、火に包まれるのを見た。エモリーが頭を撃たれて倒れ、自分の血にまみれていくのを見た。兵士たちが脚を失うのを、腕を失うのを、足を失うのを、手を失うのを、指を失うのを、つま先を失うのを、目を失うのを見た。そして、応急救護所で聞きもした。何の痛みかわからないが、その痛みで十九歳の兵士が絶叫するのを。ある兵士が迫撃砲を受けて、「頭から何かが飛び出してないか?」と尋ねるのを。間もなく死んでいく兵士について、医者が「祈るだけだ、祈るだけだ」と言っていたのを。死にかけている兵士の体をハンヴィーの中に押しこみながら、ひとりの兵士が「足を動かせないか、そうしたらドアが閉められるんだ」と言っていたのを。右脚と左脚と右腕と左腕のほとんどを失った兵士が、「あああ、痛い、痛い」と言っていたのを。救護所の床に車輪止めのようなものがあるのを見た軍曹が、それがずたずたになって死にかけている兵士から落ちたものだとわかり、悲しみに満ちた声で「足の指だ」と言うのを。アイアティが希望にすがりつくような声で「ハーレルソンはどうした?」と尋ねるのを。ゴレンブがシューマンに、「あんたがいたら、こんなひでえことにはならなかったのにな」と言うのを。さらには、次々に起こる爆発音を聞き、何十台ものハンヴィーが消えて凄まじい炎の雲と化し、残骸へと変わるのを見た。そしてしまいには、兵士たちの大半がその雲に取り込まれてしまう。恐怖の瞬間に、雲に囲まれて何も見えないまま考えた。自分は生きるのか、死ぬのか、無傷のままか、ばらばらになるのかと。やがて耳鳴りがし、心臓が激しく鼓動し、精神が暗闇に落ち、目にときおり涙が溢れてくる。彼らにはわかっていた。わかっていたのだ。それでも毎日戦闘に出かけ、戦争がどのようなものかわかってくる。勝者はいない。敗者もいない。勇壮なものなどない。ひたすら家に帰れるまでがんばり、戦争のあとの人生でも、同じようにがんばりつづけなければならない。(P.328)
そして兵士たちの現在は。戦争中にしたがんばりから快復しようとがんばっている。それでエモリーは手首を噛むようになったのかもしれない。デニーノは薬を過剰に飲むようになったのかもしれない。アイアティはハーレルソンの声を永遠に聞くようになったのかもしれない。シューマンは死のいちばん近くまで行ったのかもしれない。しかし戦争が終わって三年が経っても、彼らはいまだに戦場にいて、戦争をしている。部隊の兵士たち全員がそうだ。戦争の傷を負って悪影響を及ぼされた人もそうだ。いずれにしても、彼らはみなまだ生きて、戦いでの勝利のようなものにしがみついているが、それもダニー・ホームズの出来事を聞くまでのことだ。必死でがんばったところで、戦争もまたずっとまとわりついてくることがわかる。
ダニーは、しばらくのあいだ中隊の武器の管理責任者だったために、兵士たち全員が彼を知っていた。そして事態は悪化し、彼は次第に閉じこもるようになり、大量のダストオフ〔訳註乱用が社会問題となったダストクリーナー〕を吸引しながら陰鬱な日々を過ごした。それから睡眠の処方箋と名誉除隊を与えられて故郷に帰り、ほかの兵士たちも進んで行きかねない場所へと向かってしまった。婚約者シャウニー・ホフマンと、ふたりの子で一歳の娘オーロラを置き去りにして。(P.331)
さて、Web版西日本新聞の2021年10月4日の記事に以下のようなデータが紹介されています。
つまり当時の統計で約7千人強の戦死者に対して約3万人強・・・4倍の自殺者を出してしまったということで、それは2030年までに23倍までに増加するという恐ろしい予測まで報告されています。
現在日本では軍拡路線の勇ましい政治家が内閣総理大臣を務めておりますが、果たして自衛隊員への十分なメンタルケアサービスとケア施設を準備することができるのでしょうか。
自衛隊の話をしますと布施 祐仁 著『自衛隊海外派遣 隠された「戦地」の現実』(集英社新書)に以下のような記述があります。
隊員の自殺と戦場ストレス
幸いにも一人の死傷者も出さなかったイラク派遣であったが、これはあくまで戦闘による死傷者が出ていないということであって、広い意味での「犠牲」はすでに出ている可能性がある。
防衛省によると、二〇一六年三月末の時点で、イラク派遣に参加した自衛官のうち、陸上自衛隊で二二人、航空自衛隊で八人が自殺している。これらは在職中に自殺した人数なので、退職者も含めれば実数はもっと多くなるだろう。(P.154)
イラク派遣隊員のストレス状況については、「メンタルヘルス支援チーム」の一員として六度にわたってサマーワの宿営地を訪問した福間詳・元自衛隊中央病院精神科部長が証言している。
「私の滞在中にも着弾し、轟音とともに地面に直径二メートルほどの穴があきました。直後に、警備についていた隊員から聞き取りをしました。『発射したと思われる場所はすぐ近くに見えた。恐怖心を覚えた』『そこに誰かいるようだと言われ、緊張と恐怖を覚えた』。暗くなると恐怖がぶり返すと訴える隊員は、急性ストレス障害と診断しました」(「朝日新聞」二〇一五年七月一七日朝刊)
このインタビューで、福間は「(防衛省が公表している)自殺は氷山の一角で、イラク派遣の影響はもっと深刻なのではないか」として、次のように話している。
「当時、勤務していた自衛隊中央病院に、帰国後、調子を崩した隊員が何人も診察を受けにきました。不眠のほか、イライラや集中できない、フラッシュバックなど症状はさまざまでした。イラクでは体力的に充実し、精神的にも張り詰めているためエネルギッシュに動いていたものの、帰国して普通のテンションに戻った時、ギャップの大きさから精神の均衡を崩してしまったのです。自殺に至らなくても、自殺未遂をしたり精神を病んだりした隊員は少なくないと思います」(同前)(P.156)
モラル・インジャリー
米ブラウン大ワトソン国際公共問題研究所によると、イラクとアフガニスタンでの戦争で合計約七〇〇〇人の米兵が戦死したが、自殺者はその四倍以上に上るという。
その要因として、PTSDや外傷性脳損傷(TBI)などが挙げられているが、もう一つ、近年注目されているのが「モラル・インジャリー(良心の呵責障害)」である。
二〇〇四年にイラクに派遣され、米軍占領下で最も激烈な戦闘となった同年一一月の「ファルージャ総攻撃」に参加した元米海兵隊員の男性に取材したことがある(取材は二〇一四年)。
男性は通信兵だったため、直接、戦闘で殺したり殺されたりする場面に遭遇したことはなかった。しかし、イラク戦争の正当性に疑いを持つようになってから、男性は良心の呵責で苦しむことになる。
「政府が開戦の理由とした『大量破壊兵器の脅威』は大嘘だったのです。この戦争は、自衛のためでも、イラクの民主主義のためでもなく、侵略戦争でした。それを知った時、僕の戦争の苦しみが始まりました。直接銃でイラクの人々を殺すことはありませんでしたが、僕の通信の情報に基づいて空爆などが行われ、市民が無差別に殺戮されたのです。僕は明らかに殺戮に加担したのです」
一般的に、モラル・インジャリーは軍の病院では治療が困難だと言われる。なぜなら、軍病院の精神科医やカウンセラーはイラク戦争や米軍の作戦の過ちを認めることはけっしてないからだ。(P.157)
真っ当な人間であれば戦地での体験に政治的欺瞞まで重なるともっと酷い精神的な傷を追うことになります。もしそこで傷を追わないよう自ら欺瞞の深い穴に逃げ込んでしまった不幸な人は、やはり日常生活に戻ったときに苦しむことになると思います。日常復帰のギャップにもびくともしないほど自分を騙しきった人にも、いつか奥崎謙三氏のような人に追いかけ回される日が来るかもしれません。
本当に本当に、「戦争」なんてできるように人間は出来ていないんですよ。
IMAX『もののけ姫』

実は私、今の今まで『もののけ姫』を観たことがありませんでした。おかげさまで本作をIMAXスクリーンで初鑑賞できるという僥倖に恵まれました。
評判通りの凄い映画ですね。久々に「総合芸術」を全身に浴びたと言える上質な劇場体験でした。
前知識無しに鑑賞したのですが、冒頭で明確に「蝦夷」「大和」という単語が出てきたのには驚きました。てっきり架空世界の物語だと思っていました。ということは本作の舞台は出雲なのでしょうか。アシタカの足取りを見るとたたら製鉄の盛んだった出雲、吉備、西播磨のいずれかに着く前に畿内と思われる村からそんなに動いてなさそうだったので西播磨なのかもしれません。佐用町あたりとか。時代的には『室町無頼』の頃ですね。
それにしても絵の良く動く素晴らしいアニメーションでした。冒頭のタタリ神のムニョムニョを「描く」と決めた宮崎駿はさすがにファナティックだと思います。そういえばタタリ神になってしまったナゴの守の登場シーンでフラッシュバックしたのはジョーダン・ピール監督『NOPE』でした。それはきっと『NOPE』で描かれていた「人類文明外の未知に対する畏れと敬意」の精神が宮崎作品に通底するものだからだと考えています。ざっとネット記事を見てもジョーダン監督が明言したことは確認できませんでしたが。他作品との関連で言えば『マッドマックス フュリオサ』の「弾薬畑(バレットファーム)」「ガスタウン」は正に本作のたたら場のビジュアルと世界観にそっくりです。食料を自給できず、敵から襲われながらの危険な輸送に頼っているという設定も酷似していました。『もののけ姫』のエボシ御前率いる集団は鉄を作るために木を切り山を剥がし、工業生産物の希少性により富を得て構成員の生活を安定させているにも関わらず、集団維持のためには極めてエッセンシャルな食料入手に人員の生命を危険に晒すという本末転倒を宮崎監督はさらっと、だけども嫌味たっぷりに描きます。ロジスティクスを狙うサンの合理的な戦術描写も監督の趣味性が存分に発揮されていてニヤニヤしてしまうところです。
さて、鑑賞後に振り返ってみると、アシタカとサンとエボシ御前は三角関係と呼んでもいいのかなと思いました。最後の最後までその中間地点にとどまるアシタカは一条輝よりもずっと筋の通ったどっち付かずだと変に感心しました。神々と山と村と人間の境界を往来しながら両方の世界と関わりを持つアシタカという人物設定ならではのオチの付け方だと思います。
サンとエボシ御前となら私にはエボシ御前の方が魅力的に感じられました。資本家でフェミニストでイノベーターでコミュニストでかつテクノロジーとシステムの拡張を人類にとっての是とするファシストである彼女を宮崎駿は安易に悪役の色を付けることを避けながらその人間味と危うさを非常に豊かに描いています。雑な評し方ですがクシャナとマダム・ジーナを二面的に内包しているような人物だと感じました。彼女のコミュニティにいなければ差別され排斥されていただろう弱者に対して徹底的な包摂を見せる一方、山や神々には容赦無い征服欲を剥き出しにする。本人の来し方や人間関係が殆ど語られないところも好きです。サンの方はモロの君の説明台詞でそれがインプットされてしまったせいで「じゃなんで人間の言葉を発音できるんだよ」というノイズが付き纏って入りきれなかったのです。
中盤の食料の米をたたら場に運搬するところをサンと山犬神に襲撃されたシーケンスで配下に「谷底に落ちた者たちはどうしやしょう?」と聞かれたエボシ御前の返答には痺れました。
「谷底に落ちた者たちはどうしやしょう?」
「隊列を組み直せ!」
どうせ助からない、救助のために人員を避けない、二次災害を避けたい・・・いろんなことを飲み込んで、質問には答えず、置かれた状況を前に進める短い言葉を発する。余計なことを口に出して配下を動揺させることはせず、次にやるべき明確なアクションを与えることで犠牲に感情を引きずられることを断ち切り、安全確保のために集団の統率を優先する。
これぞファシスト。痺れる。物語のなかに数々のファシストが描かれてきましたが、こんなにも言外に豊穣な人間味を想像させるファシストがいたでしょうか。短いやりとりですが、私は本作の白眉はこのシーンであると断言します。
ラストシーンでエボシ御前は「いちからやり直しだ。この村をもっと良い村にする。」と爽やかなセリフを話します。どうです、この「賢い人間の愚かさ」。きっとエボシ御前はその知性と胆力と統率力をもって「より効率の良いたたら場」を築き上げるでしょう。だけど本作の文脈を読み取るにつけ、決してレーンチェンジはしないはずです。「熱効率の良いたたら場を建設し、樹木伐採量を削減する」ことを実現するかもしれません。そうすればあのカタストロフ一歩手前の状況は避けられる、と。
ま、東電の社長より賢くてリーダーシップがあることは間違いないでしょうが。
李龍徳 著『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』河出書房新社

<河出書房公式H.P.より>ーーーーーーーーーーーーー
在日狩り、愛国無罪、新大久保戦争、ヘイトクライム……20XX年、排外主義者たちの夢は叶った。そしていま、反攻の時が始まる。在日三世の気鋭作家による、日本を揺るがす爆薬小説。
世界は敵だ。希望を持つな。殺される前に、この歴史を止めろ。
日本初、女性“嫌韓“総理大臣誕生ーー新大久保戦争、「要塞都市」化した鶴橋、在日狩り、そしてヘイトクライム。
いま、7人の若者が立ち上がる。
生きるための場所を奪い合う世界に、新世代屈指の才能が叩きつける、渾身の問題作。
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もの凄く面白くて壮絶で辛くて後味の悪い小説です。
少しだけ未来のディストピアSFなのですが我々の暮らす今の日本と「明らかに地続きの地獄」が活写されていて、読書スピードが亀のような私からすると異例の速さで読み終えました。私の大好きな村上龍『半島を出よ』や映画『アメリカン・ヒストリーX』のエッセンスを感じて非常に楽しめました。本作のジャンルは言わばポリティカルサスペンスのSFハードボイルド風味です。
日本人と日本政府がレイシズムに陥落した近未来に、在日韓国人、日本国籍を持つが朝鮮半島ルーツの人間たちが日本人の「差別」に抗するために様々な戦い方で立ち向かうというフィクションです。ですが現在的日本の様々な要素を拡張させ、進展させたらこんな社会が立ち現れると容易に想像できるところに背筋が寒くなります。
読後は疲れ、打ちひしがれました。なんの救済も光明もありません。ただただ、後戻りができなくなる前に、今ここで目の前の差別を面倒でもひとつひとつ潰していかなければ社会はあっという間に大衆の差別と暴力に蝕まれてしまうということを痛烈に警告しています。そして忌むべき差別や暴力が社会にビルトインされていることを悟りつつも、やはりそれに抗う覚悟を求めてきます。
2018年から2019年にかけて雑誌「文藝」に連載された作品ですが、嫌韓女性総理、国粋主義振興政党の党首、主人公に利用される差別主義者と目されていた国粋主義政党の党員の若者などの登場人物に私の脳内では完全に2025年に実在する政治家や候補者が当てはまってしまい胸焼けがするほど生々しい読書体験でした。
先の参院選で飛び交った排外主義にげっそりした皆様、そして復古主義カルトの口上に乗せられて国粋主義に目覚めてしまった残念な方々にも、敗戦後80年のこの夏に読んで嫌な汗をかいて欲しいおすすめの一冊です。
藤崎衛 著『世界史のリテラシー ローマ教皇は、なぜ特別な存在なのか カノッサの屈辱』NHK出版

今週末に観る予定の『教皇選挙』の予習のために、藤崎衛 著『世界史のリテラシー ローマ教皇は、なぜ特別な存在なのか カノッサの屈辱』NHK出版を読みました。
キャッチーなタイトルが並ぶこの「世界史のリテラシー」シリーズは良いと思います。集中して読めば2~3時間で読めます。
私の好きなコミック魚豊『チ。』や惣領冬実『チェーザレ 破壊の創造者』に関連する記述もあって興味深い歴史でした。ただ、異端への迫害に関する説明はとても抑えめ、協会ぐるみの性犯罪については趣旨とことなるためか一切言及はありませんでした。全体を通して宗教学的、神学的な踏み込みは敢えてせずにあくまでも歴史の文脈の中で世俗権力(諸侯や王様)との緊張関係や対立、そして協力関係の中で教会という巨大な組織と教皇という地位をいかに維持・拡大することに尽力してきたかが書かれています。あるあるな組織内腐敗と戦いながら。
チェーザレ・ボルジアのとーちゃんみたいなのもいますが、カトリックの聖職者は結婚を禁じられているので表向きは子どもがありません。つまり額面上は教会のポジションの「世襲」は有りえないことになっています。縁故主義が『ネポティズム』として批判されてきました。
それ故にポジションの世代交代の透明性(信徒の納得性)を高めるために教皇選挙・・・コンクラーベのシステムを導入したことであるとか、巨大な教会を維持・発展させ「使徒ペトロの後継者」であるローマ教皇の正当性を強化するために法と組織マネジメンの方法論を開発してきた歴史は非常に興味深いものがありました。
私なんかが日頃のビジネスや生活で触れているルールや定めごとのなんとキリスト教的なことかと実感するのです。お仕着せの法体系と日本人の背骨は別のところにあるから違和感に苦しんでいるのだろうな、とも。

『神は銃弾』ニック・カサヴェテス監督

2025年明けて2日、新宿バルト9でニック・カサヴェテス監督『神は銃弾』を観てきました。
「暴力の詩人」と呼ばれる(そしておそらく女性作家であると言われている)ボストン・テラン小説の映画化ですが・・・「このミス」原作とかどうでもいいくらい換骨奪胎された禍々しく重いアクションスリラー快作でした。これに比べると『ファーナス/訣別の朝』がアットホームなファミリー映画に思えます(大好きな作品ですよ)。
『ゲーム・オブ・スローンズ』のジェイミー・ラニスター役で、なんともいけ好かない貴族剣士が没落して人間的に深みと味わいのある戦士に変遷していく素晴らしい演技をしていたニコライ・コスター=ワルドーが主役です。ということになっています。原作小説ではこの警官がヒロイン=ケース(本作ではマイカ・モンロー)との関係性の中で無自覚で差別的な言動の背景となっている宗教観や倫理観、ジェンダー観や民族観を更新していき思想的非マッチョを実現していく過程が魅力の一つとなっていますが、映画版ではそこは目配せ程度でばっさり割愛されていて、なんならニコライ・コスターそのものがマイカ・モンローの引き立て役になっていると言っても過言ではないはずです。
それくらい元薬物中毒の卒カルトヒロインを演じるマイカ・モンローが圧倒的に格好良かったです。原作小説の魅力を、ヒロインの悲劇と業とその裏返しとしての逞しさと強さ、そして幼き女性(カルト集団に誘拐された主人公警官の娘)への共感に焦点を絞って映像化した御大ニック・カサヴェテス監督の狙い目に私は賛同と称賛を表します。
とにかく私はこの作品世界のケース・ハーディンという人物の大ファンです。小説ではアレックス(『その女アレックス』 ピエール・ルメートル)、映画ではルーニー・マーラのリスベット(『ドラゴン・タトゥーの女』デヴィッド・フィンチャー監督)と並ぶ私の中でのイコンなのです。
リアリストで凶暴、諦観と義憤、孤独と慈愛を併せ持ったこの複雑かつ魅力的なケース・ハーディン役をみごとにやってのけたマイカ・モンローにたっぷり殴られ切りつけられる156分、最高でした。加えて、これだけ殴られ、壁に叩きつけられ、レイプされるヒロインなんて他の映画でありえるでしょうか。辛くて痛くて、ああだからニック・カサヴェテス監督はケースが幼いころに誘拐されたシーンを時間を取って見せてくれたのだと納得するわけで。
だからこそ、本作のラストで私は『ドラゴン・タトゥーの女』のラストがフラッシュバックして、リスベットの分まで涙しました。