ろぐの垂れ流し

LOVE定額の相手に着信拒否されたことあるか?!

漫画『事件屋稼業』関川夏央、谷口ジロー

エッセイしか読んだことがなかった関川夏央原作で、なんと!谷口ジロー作画の『事件屋稼業』というコミックスがあると聞いてさっそく古本を大人買いしました。チャンドラー作品と関係があるのかないのかはまだわかっていないのですが。

これは・・・格好いい!

空気感や時代感は藤原伊織『テロリストのパラソル』に通じるところもあって、たまらないですよ。ファンの方には申し訳ないですけど、わたしは原尞よりこっちの方が良くできてると思います。

ジェド・豪士や平賀=キートン・太一の源流は間違いなくここにあるのではないでしょうか。

ジェフリー・ロバーツ『スターリンの将軍 ジューコフ』

 ロシアがウクライナに侵攻してすぐに黒川祐次『物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国 (中公新書)』を読みました。その時はこの戦争はすぐに終結するものだと思い込んでいました。


 ところが悲惨な戦争は続きます。西崎 文子 他『紛争・対立・暴力――世界の地域から考える (岩波ジュニア新書 〈知の航海〉シリーズ)』を読み終えました。

 次にWW2以降の世界構造の変遷とロシアという国の実態を掴もうと河東 哲夫『意味が解体する世界へ 一外交官の考察』を読みます。

 ウクライナの徹底抗戦は続きます。


 もともと、ブラック上司に仕えたプロフェッショナルの仕事ぶりに興味があって買っていたジェフリー ロバーツ『スターリンの将軍 ジューコフ』に手をつけました。1ヶ月以上かかりました。


 ところがまだ凄惨な戦争は終わりません。


 とうとう、R.J.ラムル『中国の民衆殺戮 義和団事変から天安門事件までのジェノサイドと大量殺戮 』に手をつけるところまできました。スターリンウクライナに対して敷いた農業集団化がきっかけで起きた大飢饉「ホロドモール」で亡くなったウクライナ人は300万〜600万人と言われています。この歴史を知らずにウクライナ指導部に対して「民衆の命のために降伏すべき」論を展開するのは愚の骨頂です。


 ところがですよ、日本軍が中国で行ったジェノサイドの犠牲者は400万人です。400万人の民間人を殺したんですよ!民間人400万人!!


 第二次世界大戦中の日本軍人の戦死者の倍近い民間人を中国で殺戮した歴史をちゃんと頭に置いて日頃のニュースを見ていますか?


 とんでもないクソ国家に我々は住んでいて、しかも権力者達は復古主義でいつぞやの専制体制に恋焦がれているわけです。端的に言って狂っていますからね、あいつら。

映画『愛なのに』城定秀夫監督

監督:    城定秀夫
脚本:    今泉力哉、城定秀夫
出演:    瀬戸康史さとうほなみ河合優実、中島歩、向里祐香、丈太郎

 

 1週間前の日曜日、城定秀夫監督『愛なのに』を新宿武蔵野館で観てきました。素敵な劇場でした。


 『街の上で』で大ファンになった今泉力哉さんが脚本で参加しているプロジェクトという事で観に行ったのですが、じゃどうして今泉監督『猫は逃げた』じゃなくてこちらを観たのかというと、純粋にピンク映画のキャリヤを積んできた城定監督の演出する「成人映画ではない商業作品における正しい(はずの)エロと不貞と未成年との恋愛」に興味があったのです。


 正直、昨今の映画業界のパワハラ、セクハラの騒動に神経が消耗しているところがあって、じゃあ「癒されるエロ」があってもいいし、『愛なのに』はそうらしいと聞きつけて。


 ここ数年で私が観た映画の中ではダントツにベットシーンが多くて、下ネタの笑いが満載。東映の配給っていう安心感も大きかったですね。面白かったです。あえてギリギリのところで脚本を書いた制作意図は伝わってくるし、それだけに全方位に意識を張り巡らせた微塵の雑さも感じさせない作り方は物凄く好感度の高い出来上がりでした。事故的な暴力、不貞、性生活への満足/不満足、未成年との恋愛、教会での姦淫の告白!等々、わりと炎上しやすい素材を扱っているのですが、優しいんですよ、全てが。


 とにかくですね、主人公の瀬戸康史が片想いする元バイト同僚さとうほなみのフィアンセ役中島歩が最高なんですよ。自分のことモテると思ってきただらしない不貞男!「こんな息の抜けた締まりのない発声する男いるわ〜」なんつって小馬鹿にして観てたら、「あー、自分もこんな言い訳してそう」とか「あー、こんなトーンで謝りがち・・・」とか、憎まれ役のクソ男の形態模写がだんだん人ごとに思えなくなってきて、ラスト付近で向理祐香演じる浮気相手が彼に「不都合な事実」を突きつけるクライマックスシーンでは「頼む!それ以上俺のことを責めないでくれ!!」と泣き笑いで胸を掻きむしってしまう・・・。いや、ホンマに笑いましたー。

 瀬戸康史さとうほなみ河合優実も良かったですけど、向理祐香の飄々としていて毒っ気たっぷりながら憎めない演技が最高です。わたしは彼女のセリフがトリガーになる笑いが1番楽しめました。もちろん中島歩の受けが上手いんですけどね〜。

 『愛の渦』もすごく良かったけど、あれを劇場でみんなと観てたらどんな感じだったかしら?エロネタでゲラゲラみんなで笑う不謹慎の共有。やっぱり映画館って楽しい。


 『バッファロー'66』の名シーンを彷彿させるベットを上から撮るほんわかシーンや、それを逆転させてセックスの観念が転換したことを示唆するカットだったり、『ちょっと思い出しただけ』のような公園の定点観察やカットの切り替わりで不思議なパンをし始めるカメラワーク、もちろん『街の上で』を意識させる店舗の奥のレジカウンターの店主を撮る構図・・・などなど、いちいちニヤニヤしちゃう仕掛けも満載。


 いやー、満足度の高い良い映画でした! 

『THE BATMAN』マット・リーヴス監督

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監督・脚本・製作 マット・リーヴス

出演  ロバート・パティンソン    ブルース・ウェインバットマン
    ゾーイ・クラヴィッツ     キャットウーマン
    ポール・ダノ            リドラー
    ジェフリー・ライト      ジェームズ・ゴードン
    ジョン・タートゥーロ     カーマイン・ファルコーネ
    ピーター・サースガード    ギル・コルソン
    アンディ・サーキス      アルフレッド・ペニーワース
    コリン・ファレル       ペンギン

 

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 『ライトハウス』でヒゲをたくわえてあんだけおっさん臭かったロバート・パティンソンがなんとも病的でゴスネクラ厨二病ブルース・ウェイン像を作り上げていて素晴らしい!歴代で一番好きなブルース・ウェインになりました。

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 リドラー役のポール・ダノは『プリズナーズ』のまんまだし、気味の悪さも『プリズナーズ』のときのほうが際立っていたけども、その借景も踏まえて大成功の起用だと思います。

 

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 ペンギン役のコリン・ファレルは本人の原型を留めていないですけど、このバージョンのシリーズ化でもっと観ていたいキャラ造形でした。達者やなぁ・・・。

 

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 ファルコーネ役のジョン・タートゥーロが憎々しい最高の敵役やってるんですよね。『カリートの道』に出てきてもぜんぜんおかしくないとても実存的なギャングスタやしきたかじんみたいなルックスでタートゥーロのクセが目立たないんですけど、ゴッサム・シティという「街が構造的に生み出した悪」を上手く表現していると思います。

 

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 キャット・ウーマンを演じているゾーイ・クラヴィッツは良いですね!格闘技も決まっていたし、ウィッグ姿はナタリー・ポートマンを彷彿させる可憐さ。なにせキャット・ウーマンのコスチュームが本作のコンセプト通り取ってつけた感のない「実際にありそう」風なのが格好良かったです。アン・ハサウェイのよりずっと好きですね。ただ・・・ブルース・ウェインのビジュアルに引っ張られ過ぎかもしれませんが、『ドラゴン・タトゥーの女』のルーニー・マーラには勝てないかな?私がマーラ版リスベットが好き過ぎるんですけどね。

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 私が本作で一番好きだったのは『BELLFLOWER』のビジュアルを彷彿させるバットモービルのカーアクションでした。格好良かったなぁ! 多少ジョン・ウィックのフォード・マスタング偏愛に寄せている風が感じられましたが、カメラカットのあとに少し照明の抑えめな先に浮かび上がる車体は静謐さと獰猛さが両立していてめちゃくちゃ格好いい絵でした。


 それに、バットマン史上最高にクールな着地シーンがあります。あれは声出ましたね。「おわぁ!!」って。

 


【ここからネガティブコメント・ネタバレあり】


 なんだこりゃ?ここまでやってて大失敗じゃないですかこの映画!!!!!!!!
 役者にこんだけパフォーマンスさせて脚本と演出で致命的な失敗をしていると断じざるを得ません。

 ノワールやりたかったの? ミステリやりたかったの? 

 いやいや・・・マット・リーヴス監督、あなたそのジャンルそんなに得意じゃないでしょ?

 するすると見つかるバットマン宛のリドラーからの手紙、一問一答でバットマンが答える謎解き、現場保全の警備をしている警官のポロリでがぜん謎解きされる絨毯のネタ。突然謎解きを始めたかと思うと写真を床に並べて何故か缶スプレーで自宅の床に文字を書き出すブルース・ウェイン。キーアイテムから引っ剥がされたその下に観光案内かのように記されたゴッサム・シティの地図に丁寧に仕込まれた光る爆薬の設置場所・・・。

 尺取って客を冷やしているとしか思えない。ゾディアックへのオマージュがどうだとかはおいておいて、あざとさにさえたどり着けない白々しさ。3時間かけてなにやってんの? 謎解きやりたかったらファルコーネとウェインの父親の『LAコンフィデンシャル』パートはごっそり削るべきだった。

 もうひとつ無駄だと思えるキャット・ウーマンとのロマンスパート。なぜかバットマンとキャット・ウーマンが二人きりでビルの屋上に立つと音楽の当て方が野暮ったくなり、気恥ずかしささえ感じさせる台詞と演出がスタート。ラストのバイク・ランデヴーのシーケンスも「あー、はいはい」と吐き捨てたくなる凡庸さ。いやいや、セットにまたがってるのが丸わかりなバットマンの顔のアップで今更何を思えばよいの?監督の不得意カテゴリーが丸わかりな印象的なシーン達だったと思います。細かいことを言うとキャット・ウーマンが自宅の猫をバイクの後ろのパニエケースに積んで走り出すところはただの動物虐待にしか思えなくて映画に入っていけないというか、ラストもラストにシーンなので気持ちが離れていって仕方がないんです。多頭飼いだったのにその時は一頭しか出てこないのが気になるし・・・。

 そして決定的にこの映画の設計がミスってる(もしくは無視している)ところが、バットマンの文法破りのいくつかでした。

 まず、バットマンが明るい日中に人命救助に尽力するその違和感・・・。まぁいいです、型は破らなきゃ新しいものは生まれません。

 でもね、冒頭からブルース・ウェインは例の空にライトで浮かび上がるバットマン・マークで呼び出されるんですよ。ところがゴードン警部補とのパートナーシップが作られるのは中盤にかけて?まぁこの作品の前提として警察のだれかと協力体制ができていたとしましょう。それなのに、街中のクラブの用心棒にはすぐに顔バレするくらい有名なブルース・ウェインの名を、勾留所の監視カメラの下で(カメラをアップで抜いたんでそこは強調しているはず)バットマン・コスチュームで面会に訪れた彼にリドラーは「ブルース・ウェイン」と何回も呼びかけるんです。バレますよ!、バラしますよ!って。

 それがクライマックスの人命救助のシーンで「覆面の男が、懸命に!・・・」ってテレビ中継されています。そいつがブルース・ウェインどころか、バットマンであることも周知されていない世界が立ち上がるわけですよ。

 は!?

 ヒーローのヒロイックさと匿名性のロマンを、そんな形で台無しにしてまで表現したかったのは、絨毯剥がした床に刻まれたゴッサムシティの地図の外縁にチカチカ光るLEDですか?

 げんなりですよ。

『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』アグニェシュカ・ホランド監督

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 スターリンに農業集団化政策を強行されて飢饉に陥ったウクライナに侵入取材した実在の英国人ジャーナリストを題材にした映画です。ウクライナに入ってからの描写で二度、耐えられなくて鑑賞を止めました。辛かったです。数百万人の飢餓死を招きながら、当時この事実は隠蔽され続けていました。しかもニューヨーク・タイムズ紙などの西側メディアとスターリン政権の癒着によって隠されていたのです。

 

 共産主義の圧政による民衆の苦しみ、飢えによる狂気を圧倒的なビジュアルで描きながら、ジャーナリズムの使命と限界、そして欺瞞について鋭く問題提起しています。私には後者のテーマがあまりにも現代的な問題として捉えられ、やるせなくて吐き気さえ感じました。

 

 本当のことを知ることの難しさ、報道がいかに恣意的に操作されるかの内情、そういった諸々を腹に収めて、世の中を飛び交うニュースに向き合うべきなのでしょう。

 

 ジョージ・オーウェル役のジョゼフ・マウルが抜群でした。当時、共産主義・平等社会というのが秘密主義のヴェールに包まれ西側自由主義陣営にも憧れをもって受け止められていたというのは驚きです。

 

 終盤にドイツ人記者役のヴァネッサ・カービーがひとり語りするシーンがあるのですが、そこにラジオで流れるヒトラーの演説がとにかく怖かったです。劇中にスターリン自体はプロバガンダの肖像画でしか出てきません。このコントラストの付け方もぐっと来るアグニェシュカ・ホランド監督は上手いですね。ロマンス描写の抑え方が私にはとても好ましかったです。

 

 そして、『4ヶ月、3週と2日』を超えるくらいにご馳走の肉料理のシーンに嫌悪感を覚える本作の食事シーンの演出は、真面目一辺倒のお硬い映画じゃ済ませないわよという監督のケレン味が出ていて、題材はとにかく重いけども、純粋に「あぁ上質な作品を鑑賞したな」という満足感が強い映画でした。

松居大悟 監督『 ちょっと思い出しただけ』主演 池松壮亮、伊藤沙莉

"Нет войне"

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 21時スタートのレイトショーでこの作品を観終わったあと、劇場のある大型ショッピングモールからの運転の帰り道、雨の照り返しで見にくいアスファルトの中央線をたどりながら車内で一人「うわー、うわー」と独り言を言っていました。うまく説明できませんが、偶然に古い友人に出会って心置きなくおしゃべりをした帰り道のような高揚感。自分にぴったりの洋服を手に入れたあとのようなとっておき感。そんな気持ちが湧き上がってきて、とても幸せなドライブでした。

 

 いや本当に面白かったです。映画を観るってこんなに楽しい。

 

 公開情報に載っているので敢えて触れますが、観る前に押さえておいて欲しい設定があります。この映画は池松壮亮演じる舞台照明スタッフの誕生日1日の出来事を6年にわたって【一方向に遡る】構成です。私は全くの事前情報無しに観始めて混乱してしまったので少し残念でした。

 

 ジム・ジャームッシュの『ナイトオンザプラネット』を引用しながら、『パターソン』の定点観測にもオマージュを捧げつつ、切なくて愛らしいギャスパー・ノエ『アレックス』(愛らしい『アレックス』なんて有りえませんが)を撮ってみた!という作品です。

 

 主演の伊藤沙莉は声優参加も含めて初めての鑑賞作品でした。破壊力のある俳優ですね。私はあまり天真爛漫キャラというのが好きではないのですが、本作の彼女はタクシードライバーを勤める職業人としての姿から入ったせいかとても好感できるキャラ造形になっていました。笑いを誘うぶっ飛んだ奇矯な行動も、ストレートすぎる池松壮亮演じる照夫への愛情表現も、こじらせた怒りの演技もどれも良い。だから照夫とちちくりあってるシーンにも拒否感なくその痛々しさ込みで愛おしい目線で応援できました。彼女の演技ではなかったら「なんで金払って他人のイチャイチャ見なあかんねん!」と嫌気が差したかもしれないシーンがいくつか有りましたが、それまでに「大人の彼女」がぐっとのみ込んだ苦悩を上手に見せられているので嫌な気分にならない。その脚本も上手だと思います。時間逆回しの妙技。

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 池松壮亮は『よこがお』のときの喋り方がすごく苦手であまり好きな俳優ではなかったのですが、なんとまぁ好青年ではないですか。どっちが好きかと問われれば『街の上で』の若葉竜也の方に分があるかなぁ・・・と思いますが、そこは完全に私の好みの問題。とても良い演技でした。冷静に考えれば時代劇『斬、』であれだけ鬼気迫った演技をしていたのですから『よこがお』のあの若者喋りが演技であることは分かりそうなものですが、それにしてもイライラする喋り方をしていたんです。凄い演技力ですね。この作品でもアドリブなのか自由度の高い演出方針なのか、いまどき男女の活き活きとした掛け合いを伊藤沙莉と繰り広げています。笑いに振ったシーンも、気まずくて仕方がないシーンもそれぞれ素晴らしかった。

 

 上述二人のメインストーリーに加えて、おおよそ3本のサイドストーリーが走っているのですが、それぞれがとても味わい深いです。

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 永瀬正敏は『パターソン』のときよりずっとこっちの方が良い!本当に切なくて愛おしい役柄を演じていますが、それでも、登場したときは『淵に立つ』の浅野忠信を観たときみたいにギョッとさせる存在感が素晴らしいです。さらに國村隼演じるバーのマスターも作品全体に締まりとホッコリ感を同時に与えていてベテランらしい良い仕事です。順回しの方向でハッピーで多様性に富むラブストーリーを届けてくれます。そして作品のインスピレーションとなった楽曲を作り、作品にも提供しているクリープハイプ尾崎世界観。こちらも逆回し、順回しを非常にうまく使った良い味の脇役に配されています。ここの脚本も上手だなぁ。

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 かなり緻密な脚本の構成で魅せる素晴らしい映画でした。でもそれがあざとく感じたり、わかりにくくて鑑賞者が置いてけぼりになったりしないのは丁寧な脚本に加えて、心情を明確に表現できている俳優陣の上手さが大きいと思います。これまた大好きな『街の上で』とも全く違った方向性で街や人やケーキを描いた本作。2月時点ですでに今年のベスト3に入るのは確実視される名作でした。

 

 やっぱり劇場に足を運ぶって良いもんですね。

濱口竜介 監督『ドライブ・マイ・カー』主演:西島秀俊

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 翻訳文体で日常会話を交わす奇妙な登場人物たちが無表情演技で自分や相手の心情を語って聞かせる「魂の再生」ストーリー。


 タイトルにはなっているけれども、ちょっとレオス・カラックスウォン・カーウァイ風味のシーンがあるだけでほぼ意味の無いドライブシーン。チェーホフ作品の台詞なのか、主演の西島秀俊の妻(霧島れいか)の書いた脚本なのか、本人たちの会話なのか、トーンもなにもかもが平板なせいで全く区別がつかないぼんやりとした風景が続きます。わざとでしょうけど何がしたいん、それ?


 かと思うと「人の心はそのまま覗くことはできません!」という前置きから、実生活であんたらにそういう断定的な物言いをされたら本当に不愉快だろうなという心理分析を開陳しだす登場人物たち。なんのスイッチが入ったのかわからんけど、どんだけ練習してきたんだよという長文を朗々と喋りだします。


 わたしはてっきり、劇中舞台の準備で感情を交えない本読みの練習が立ち稽古に進み、いざ本番を迎えるという物語の進行にリンクして、登場人物たちの台詞回しにゆらぎを持たせてくるかと思っていましたが、それもない。ラストまで演出方法に変化無し。


 はぁ?なんじゃそりゃ・・・。

 

 作品中に「言葉の限界」に言及する台詞が有るのできっと作品のテーマにもそれは自動的に装着されるものだと思いました。ところが作品の終盤、劇中劇であるチェーホフ『ワーニャ伯父さん』のクライマックスが結構な時間をとって演じられているのですが、舞台演出のある特色のために私には【字幕】を追わなければ全くメッセージを受け取れないシーンとなっていました。私のコミュニケーションスキルが足りず、チェーホフ作品に関する素養が足りないということが本作を楽しむうえでの準備不足だとしても、映画として大きな矛盾を感じたシーンでした。その居心地の悪さが本作全体に通底しているような気がするのです。テキスト情報に大きく依拠したシーンを作り、そこに山場を持ってくるのであれば、小説原作を謳い、チェーホフの舞台劇を素材として大きく取り上げるこの映画はいったいどこに立ち位置を取りたかったのか。主人公が『テキストとの応答』という台詞を使うのも気になります。


 皮肉を言えば、社交的自閉をハードボイルドの味付けで表現し、記号のようなト書きでやりとりされる心理描写がこの作品の狙いだとしたら、それはとてもよく村上春樹の特徴を踏襲した脚本だとは思いました。「黒い渦」という言葉で安直に長女を亡くした妻の喪失感を台詞で説明し、彼女の脚本執筆につながる言葉を「黒い渦」からすくい上げる、創作の発露となる語りを生み出すその契機が性行為でるということを、主人公が「セックスをすると・・・」と何度も繰り返し説明しだすとき、その単語の繰り返しの分だけその場にいない妻の「黒い渦」とやらが漂白され、小さくなっていくのを感じました。フォン・トリアー『アンチクライスト』、クローネンバーグ『クラッシュ』のような病的な表現方法を採れとは言いませんが、この作品の演出方法は映画としてやるべきことだとは私には思えないのです。

 

 ただ、よく考えてみると同じ濱口監督の『寝ても覚めても 』もセリフ回しが気持ち悪すぎて途中で観るのをやめています。


 好みの問題でしょうね。

 

 喪失と再生というテーマでは、『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』が好き過ぎて辛口になってしまっているというのも否定できません。