ろぐの垂れ流し

LOVE定額の相手に着信拒否されたことあるか?!

アーノルド・J・トインビー 著『試練に立つ文明(全)』現代教養文庫

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 国際競技大会の一連の報道を見るにつけ、いよいよ日本は衰退国家だという実感は増すばかりです。ふと思い出して、久しぶりに中西輝政『なぜ国家は衰亡するのか(PHP新書)』を読み返してみました。


 中西によれば国家なんて上がったり下がったりを繰り返すもので、よしんば滅亡したとしても「種」さえ残っていればその種が次の文明を発展させると言っています。だから衰退期にはその衰退を直視することが大事だとも。


 それって「負けるにしても負け方が大事だ」と言っているような気がするんです。
 上手な、正面切った負け方を身に着けなかった大人が「虚勢」と「半身の処世術」で世にはびこるから組織とプロセスのオープンなフィードバックと学習が阻害されている。だから実務能力の失われた完全無能の官僚組織や企業体が出来上がって行き詰まる。


 適切な挫折の場を与えられなかったことは不幸だと思います。だけども、挫折を経て、人格の成熟ではなく「虚勢」と「半身の処世術」の異常進化で世に出ている人が多いのも事実。堀江貴文橋下徹小池百合子・・・そして菅義偉
 共通するのは空虚さと自動的反復作動、そして理念なき連帯を生み出す負の巨大なエネルギーです。そんな黒いエネルギーにドライブされた社会や組織で人が良く生きていけるわけがない。


 中西が当該書籍で引用していたトインビーも読んでみました。すると、恐ろしいほど生々しくいまの本邦を活写したような一節があったので引用します。
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 (略)つまり、挫折ということは統率力の喪失を意味します、統率力の喪失ということは次には、自由から自動作用への転落を意味します。そうして、自由行為とは無限に変化し得るものであり、ぜんぜん予言を許さないものであるに反して、自動的過程というものは、一様性と法則性を帯びる傾向があるからなのであります。
 簡単に申しますれば、社会的解体の絵すがたを一貫する法則とは、そのくずれゆく社会が、反抗心に燃え立つプロレタリアと、次第々々に支配力の衰えゆく少数党へと分裂することであります。この解体過程は平たんの一路を進行するものではない。それは潰え去るかと思えばまた勢力をぶり返し、また、潰走するといったような発作を交互に反覆しながら進行するところのけいれん的運動であります。最後から二番目のぶり返しのあたりで、少数の支配者は、社会の上に一つの世界国家の平和をおっかぶせることによって、われとわが身を裂く社会の自己屠殺運動に一時の停止命令を発することに成功します。(「我が歴史観」 P.17)
アーノルド・J・トインビー 著『試練に立つ文明(全)』現代教養文庫、深瀬基寛 訳