ろぐの垂れ流し

LOVE定額の相手に着信拒否されたことあるか?!

沢木 耕太郎 著『テロルの決算』(文春文庫)

 2022年7月8日の安倍晋三元首相の銃撃殺害事件の報を受けて私がまず感じたのが、山上徹也容疑者の動機、背後関係その他の真相究明は捜査を待つとしてこの重大な事件を自分の腹にどう収めればいいのかという混乱でした。自分には現役国会議員が衆目の中で銃撃され死に至るという事件を捉えるフレームが無いことに改めて驚き、慌てたのです。2002年10月25日に民主党衆議院議員であった石井紘基が刺殺されたとき、私は会社員になりたてで仕事のプレッシャーと長時間労働、おまけに社会への無関心というコンボでそのニュースについて全くと言っていいほど記憶がありません(刺殺事件から20年近く経ってから、その著書『日本が自滅する日』を読みました。素晴らしい、重要な書籍です。)。
 そこで、日本近現代史における要人暗殺の周辺にある雰囲気というか時代性のようなものを感じるためにもともと手元に(積んで)あった黒川創『暗殺者たち』(新潮社)、デイヴィッド・ピース『TOKYO REDUX』(文藝春秋)、月村了衛『東京輪舞』(小学館)、事件をきっかけに取り寄せた中島岳志血盟団事件』(文藝春秋)のどれかを読もうと考えていました。しかし最終的にはSNSでやりとりをしている友人の勧めで『テロルの決算』を読むことに決めたのです。

 1960年10月12日に日比谷公会堂で開催された三党首立会演説会の演壇で浅沼稲次郎社会党委員長(61歳)が右翼の少年山口二矢(おとや、17歳)に短刀で刺殺されるという事件が起きました。この本は、その事件でまさに交錯することになった二人の人間のそこまでの人生と、事件後の山口二矢の調書をもとに書かれたノンフィクションです。1978年に初版発行ですから沢木耕太郎が31歳のときです。あとがきによると彼が20代の7年間で執筆したということです。若くして才能を発揮する文学者というのはなんとなく理解できるのですが、ことノンフィクションという分野において20代でこのような業績を打ち立てる書き手は寡聞ながら他に知りません。凄い書き手だと思います。そして1979年第10回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した本作はノンフィクションの金字塔として有名ですが評判通りの凄みをもった傑作でした。淡々とした冷徹な筆致でありながら臨場感が極まっていて、まるで高村薫の小説『照柿』を読んでいるときに感じた主人公が凶行に及ぶまでの情念の高まりを追体験しているようなあの読書感とそっくりでした。

 本作を通じて一番印象が強かったのは1960年(昭和35年)頃の日本人のエネルギーの強さです。良く言えば活力に溢れ行動的、悪く言えば野蛮で暴力的な日本人。労働争議も気合が入っていますし、安保の反対運動で警察と学生が衝突して東大生に死亡者が出ています。本作の片方の主人公である浅沼稲次郎は政治デモで警察に逮捕され、警察からひどい拷問を受けています。敗戦から15年後、2022年現在に80歳の方が18歳だった頃の日本。私は敗戦の41年後に生まれた人間ですが、よど号ハイジャック事件あさま山荘事件の振り返りの報道で、暴力の残滓のようなきな臭さを感じるのがせいぜいの幼少期でした。ですから本作を読んで、政治デモのたびに車両をひっくりかえしたり、ゲバ棒もって相手方に突っ込んでいったりで何度も警察のお世話になるなんて世相やその熱量には想像が及ばないところがあるのです。

 では、国政政党の党首を刺殺するという凶行に及んだ山口二矢という少年はやはりギラギラした武闘派だったのかというと全くそんな人間ではなかったというのです。

 杉本は二矢と起居を共にしてあらためて驚かされていた。それは、このような少年が戦後教育の中からでも生まれうるのだ、という驚きであった。礼儀、言葉遣い、挙措、服装、そのどれをとっても折り目正しいものだった。それは二矢と同年代の少年と比べた時、並みはずれていた。(p.205)

 私もこのノンフィクションを読んでいて、山口二矢に野卑なところや粗暴なところが感じられないのが驚きでした。もちろん右翼活動の際には先輩からたしなめられるほどイケイケだった彼ですが、それはどうも活動における使命感や真摯さの彼なりの表現であったように思われるのです。ただ、感受性が人よりも強く、思考が鋭利であったのは間違いないでしょう。比較的リベラルな教育方針だとみうけられる父親にさえ抑圧を感じ、兄にもライバル心よりももっと暗い、畏怖のようなものを感じていた様子が書かれています。そういった素地をもつ山口二矢が右翼活動に傾倒していく端緒を書いたものに強く心に残った箇所がありますので少し長いですが引用します。

 二矢は玉川学園でも養鶏部に入り、黙々と動物の世話をすることを好んだ。休み時間にはよく鶏の世話をしている二矢の姿が見られた。
 だが、二矢が玉川学園にも違和感を覚えざるをえなかった最大の理由は、やはり彼の右翼的言動に対する周囲の視線であった。それはかなり冷たいものだった。学校での二矢のあだ名は「右翼野郎」というのであった。
 ふだんはおとなしく目立たない二矢が、政治的な話になると一歩も退かなかった。友人に対して、というばかりではなかった。むしろ教師に対して、より強硬だった。それは、あまり親しくなかった同級生のひとり石川勲にとっても「一本筋が通っている」と思えるほど、論理的なものだった。
 しかし、教師たちにとっては、小生意気な右翼野郎にすぎなかった。とりわけ担任の若い教師は二矢に好意を持っていなかった。事件後、その若い教師は新聞記者に、「山口の父親は赤尾氏の大のひいきで、母親はいまでも軍歌のレコードを聞きながらゾウキンがけをするような特殊な家庭環境のようで、いわば親たちのこういう態度にも責任があったと思う。また山口は在学中に失恋をし、その劣等感も右翼に走らせる機会を早めたのではないか」。
 と述べた。ここには事実の誤認もあるが、それ以上に、彼の右翼野郎への嫌悪感が際立っている。 そのような冷笑と嫌悪の視線に対し、二矢はさらに頑なになり、昂然と右翼野郎たることを示すようになる。「再軍備賛成論」をぶち、「警職法改定擁護論」を展開した。
 左翼的な思考に慣れた教師たちは、彼の問いかけを常に強圧的に批判するか、あるいは無視するだけだった。少なくとも二矢にはそう受け取れた。この日本において、今や左翼は圧倒的強者であり、だからこそ、その強者と闘わなくてはならないという信念は、 左翼的な教師が自分にとって横暴な強者であるという実感によっても強固なものになっていった。(p.64)

・・・疎外感、冷笑、嫌悪の眼差し、一方的に決めつけられた「劣等感」というスティグマ、強者に強いられた無理ゲーを戦う絶望感。
 付箋を貼ってある部分を読み返してこの箇所に目を通したときに、私は脳の奥の温度が下がったような感じがしました。はたしてこの事件は左翼に対する暴力的抗議と単純化してよいのか、山口二矢はただの政治犯なのか、その疑問が山口二矢の動機の現代性を強く意識させるのです。
 疎外感、冷笑、嫌悪の眼差し、一方的に決めつけられた「劣等感」というスティグマ、強者に強いられた無理ゲーを戦う絶望感、という要素は1960年(昭和35年)における特殊な現象では決してありませんし、支配的な左翼勢力に抵抗する右翼という政治状況からのみ引き起こされるものでもありません。

 少し話が逸れますが、名経営者として語られることの多いジャック・ウエルチ元GE社長には"Neutron Jack(ニュートロン・ジャック)"というあだ名がありました。ジャック・ウエルチの断行するリストラ施策で「会社の建物は残っているが、従業員だけが消える」様子が「まるで中性子爆弾が爆発したようだ」から付けられたあだ名です。氏には不名誉なことかもしれませんが、私はこの中性子爆弾という比喩を聞く時、現代日本の「隠蔽された暴力による内戦」を思い出します。自殺率はG7でトップ、自殺する世代でみると若者が3分の1を占める国。生活保護の捕捉率は1.6%で費用の対GDP比はOECD平均の4分の1の水準。日本の貧困率OECD加盟30カ国中ワースト4。治安は良い国です。犯罪は減少傾向です。ですがこの国のシステムは搾取するリソースが枯れてしまってもなお人間そのものをすり潰して自己再生産を図っているようなのです。足元ではそのシステムのガタが隠しきれず存亡の危機に瀕しているようですが、そのせいでなお一層搾取の暴力性を強めているように見えます。あたかも人間性や死がシステムの温存のために漂白されていっているようなのです。

 私はこれを「隠蔽された暴力による内戦」だと呼んでいます。

 バブル崩壊以降、新生児が育って自分の子供を設けるくらいの時間軸で日本人は無理ゲーを戦ってきました。ゲームそのものも「たけしの挑戦状」が途中で「星をみるひと」に変わってクソ度が増した過酷な無理ゲーです。統治者にとって幸運だったのは、もう我々日本人にはゲバ棒を振り回したり道端の自動車をひっくり返したりして体制に抗議する気合と根性は備わっていないことでしょう。だけども、あまりにも過酷な無理ゲーのリセットボタンをバックアップも取らずに押したくなる人間を生み出す母集団は、想像もできないくらい巨大になってしまっているのです。

 二矢が欲していたのは、「どちらが正しいか」自由に判断させてくれるような人物ではなかった。暗い苛立ちの流出口を見つけ、鋭い反撥心に的確な方向性を与えてくれる人物こそ、必要だった。(p.67)

 政策や雇用形態やテクノロジーで人間的なネットワークをずたずたにされた我々は、「無理ゲーのやめ方」のオプションが豊富ではありません。アドバイスを聞ける人も、望ましくない行いを止める人も、いない人間が多いから。さらに残念ながら我々日本人は受けてきた教育の作用で「オルタナティブを内包する」ことも「規範を内面化する」ことも苦手です。だから日本人は、人間的なネットワークの中で保持されないと暴走しやすい、個としての拭いきれない脆弱性を持っていると感じています。
 
 ならば、痛ましい事件事故を招くような暴発を防ぐために、我々は歯を食いしばって怒りを押さえつけなければならないのでしょうか。自分たちのパラダイムを劇的に書き換えなければならないのでしょうか。今から友人知人を増やし、疎遠の親類に年賀はがきを送れと? 無理ゲーを戦い続けて消耗しきった我々に「成果が出ないのであればもっと頑張れ」というようなラットレース的アプローチは酷というものです。ですから私はみなさんに「熱く戦うためにユルく振る舞う」という明るく健全なアナーキズムを提案したいのです。まず手始めに戦略的サボタージュはどうでしょうか。自分の生活や収入に影響が出ない範囲であらゆることをサボるのです。そこで自分の生活や心に「空間」を作りましょう。空間ができれば連帯をする余裕も、困難を笑いに昇華する余裕も、真に人間的な対話をする余裕も生まれてくるでしょう。

 最後に、第2次世界大戦中のイギリス人がとった戦い方(逃げ方)を紹介する私が大好きな一節を引用して終わりたいと思います。

 イギリス人がナチズムに対して頑強に戦ったのは、寛容な社会を保存するためであって、したがって、戦争中につくられた戦意高揚映画の多くは、ナチス国家との対比で英国における自由を非常に強調しております。それゆえ多くの映画で、ドイツ人は非常に規律正しく、イギリ ス人はむしろだらけたようにえがかれております。BBCで放映されたコルディッツ捕虜収容所からの脱走物語でも、捕虜になったイギリス軍人は監視しているドイツ軍人に比べて「気合い」が入っていないようにえがかれていますが、捕虜たちが工夫をこらし、危険を冒して次々と脱走して行く物語は、イギリス人のもっとも誇らしい戦争中の思い出の一つであります。(p.23) 森嶋通夫 著『イギリスと日本』(岩波新書