ろぐの垂れ流し

LOVE定額の相手に着信拒否されたことあるか?!

女性の名前はなぜ赤色で印刷されるのか問題

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ある程度の規模の企業には「組織図」というものがあるのが一般的だと思うのですが、あれに男女の性別を色や記号で区別してあるのが気持ち悪いのです。

私が勤めている業界というのは残念ながら女性進出については日本の平均もしくはそれ以下の環境なので、必然的に組織図の下の方に赤い文字で書かれた名前や女性を示す記号が固まるわけです。

なんなら、雇用形態まで分かりやすくしてあるわけですよ。横串に階層で並べてあって、下の方の欄外に派遣社員やパートの方の名前が記載されているといった風に。

これってとても露骨に、身内である社員向けに発してるメッセージであるわけです。「我が社は性差および雇用形態を社内における序列決定の重要な尺度としています」と。

建築家のルイス・サリヴァンは「形態は機能に従う」という有名な言葉を残していますが、企業組織もそうあるべきだと考えています。私の経験では、業務上、協働する人たちの性別や雇用形態が重要なファクターであったことは全くといっていいほどありません。

そんなことよりも、会話をした時にフワッと匂ってくるアホ臭だったり、身だしなみだったり、パソコンのデスクトップの様子だったりの方がよっぽどその人の能力や仕事のやりやすさと相関が強いと思っています(これについては私個人との相性の問題が大きいので、客観的な基準とは話を分けてください)。

「これだから日本人は」という論を展開するつもりはありません。実は、女性からきり出す離婚を法的に認めたのはキリスト教圏の国々より日本は早かったし、歴史的に世界の国々の中で特に男尊女卑が酷かったというわけではありません。ただ、第二次世界大戦後に世の中で進んだ男女平等化の流れに日本だけは相対的に遅れをとっていたようなのです。

社会・経済の色々な事情もふまえ、日本人に合った得意の戦法を採るにあたり、家父長的価値観を温存し、企業組織に持ち込んだというのは当時必然であったといえるでしょう。国レベルで起こったヒエラルキー崩壊の代替品とまでは言いませんが、戦後の日本人の寄る辺として家父長的価値観を持つ職場は必要だったのです。特に男に。なぜならもともとモノカルチャーだったから。

私個人はマッチョや体育会系やヤンキーといった価値観から距離を置きたいので、いわゆる「頑固で怒ると怖いけど頼りになるオヤジ」と一緒に仕事をしたいとは思わないのですが、自然科学や宗教上のバックボーンから日本人は「人間性」の外に絶対的な「基準」を持ち得ない民族なので、マトリョーシカのような構造の「家」を社会の構成要素とするのは自然なことだとも思っています。それは、優れているとか劣っているとかそういうことではなくて、日本人の行き方なので、そういうもんだと考えるほかありません。慣れないことをやるのは疲れますしね。

ただ、日本人が主戦場としている市場経済に、ニホンジン・プロトコルが不整合を起こしているのも事実です。それもしゃーない。直近のこのターンでは日本人がルールメイカーじゃなかったから。

だけど、せめて技術的な部分でもいいから、学んで変えていく努力はした方がいいですよね。組織図は白黒で印刷すればコストも下がりますから。その上で、安易なカテゴライズに依らず、人を人として見つめ、働き手としての「個人」の像を捉えていく訓練はおいおいしていけばいい。まずは形からでも始めましょうよ。

それと、おっさんが下駄を脱がされるのはもう時代の宿命だと思って覚悟を決めましょう。「マウントおじさん」と陰口を叩かれていることをよそから聞くのは、自分の身の丈を受け入れるよりもよっぽど辛いことですよ。