ろぐの垂れ流し

LOVE定額の相手に着信拒否されたことあるか?!

日本人の原罪

事実や数字をかくも軽んじる日本人の価値観の上位にあるもの。日本人の反省と学習と成長を阻んでいる " it "って何なんだろう。

数も数えられない役所に自分や家族の財産や生命を喜んで預けたがるほど、僕はマゾヒスティックな人間ではない。

政権交代にもつながった「あれ・・・この年金誰のなん?5,000万件くらいあるけど」問題から干支も一周しました。

日本人が真面目できめ細やかで几帳面だなんて、まだ信じている人がいるとしたら、考えを改めないとエライ目に遭いますよ。

f:id:upaneguinho:20190127154123j:plain『 ある一つの主義に基づき、ある対象が在ることにする。奇妙なことに、これが、歴史的にも同時代的にも、そして昔も今も日本で行われてきたことであった。精兵主義は確かにあった。しかしその主義があったということは精兵がいたということではない。全日本をおおう強烈な軍国主義であった。だがその主義があったということは、強大な軍事力があったということではない。

 ところが奇妙なことに、精兵主義があれば精兵がいることになってしまい、強烈な表現の軍国主義があれば、強大な軍事力があることになってしまう。これはまことに奇妙だが、形を変えれば現在にも存在する興味深い現象である。そしてこの奇妙な現象が日本の敗因の最大のものの一つであった。そしてそれを思うてき、小松氏が、これを二十一ヵ条の冒頭にもって来たことは、私などには、なるほどとうなづけるのである。
 なぜこういう奇妙なことが起こるのであろう。日本人全部がいかに激烈な軍国主義者になったところで、昭和のはじめの日本の常備兵力は、実質的には日露戦争時と変らぬ旧式師団が十七個あるだけであった。総兵力十七個師団。約三十万人余。これは、当時の日本の経済力を考えれば、ほぼ精一杯の師団数であったろう。通常、完全編成の一個師団の兵員は一万五千だが、日本の師団は二万。その理由は、自動火器の不足を単発の小銃の数で補うためだったといわれる。

 その火力はアメリカの戦艦の五分の一以下、簡単にいえば、五個師団半の火力の総計でやっと戦艦一隻分の総火力である。そして伊藤政徳氏によると、この十七個師団の中で、アメリカの海兵師団と対等にわたりあえる能力のある師団は、一個かせいぜい二個であったという。
 日本全体がどのような主義を奉じようと、奉じただけでは、現実にはこの数がふえるわけでも減るわけでもない。全日本人が強烈な軍国主義者になれば一気にこれの能力が十倍百倍するわけではなく、海兵隊と対等でわたりあえる師団が一個師団か二個師団かという現実には、何の変化もありえない。』p.75


『 ところが奇妙なことに、昔も今も、この馬鹿げた発想が存在するのである。その昔、火力その他から厳密に計算して、日本の師団のうち海兵師団と対等でありうるのは一、二個師団、と公然と発信する者がいれば、それだけで、その者は日本国民の資格のない者、すなわち非国民であった。だがしかし、それへの反論は、常に厳密な合理的数字による反論ではないのである。』p.77



『 結果として一切が水増しとなり、すべての「数」が、虚構になる。それを知ったとき、最終的には、すべての命令も指示も理論も風化し、人はただ自己の経験則だけをたよるのである。』p.85


『 そしてその第一歩は何だったのだろう。「ない」ものを「ない」と言わずに、「ない」もの「ある」というかいわないかを、その人間の資格としたことであった。一言にして言えば「精兵主義はあっても精兵はいない」という事実を、一つの「事実」としてそのまま口にできない精神構造にあった。最後の最後まで「員数」すなわち「虚数」を「実数」としつづけ、そして「実数」として投入された「員数」は、文字通りの「員数」として、戦闘という実質の前に、一方的に消されていったわけである。』p.97

 

「日本はなぜ敗れるのか --敗因21ヵ条」山本七平