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『女神の見えざる手』

女神の見えざる手

上映時間 132分、製作国 フランス/アメリ
初公開年月 2017/10/20
監督: ジョン・マッデン
脚本: ジョナサン・ペレラ
出演:  ジェシカ・チャステイン       エリザベス・スローン
     マーク・ストロング         ロドルフォ・シュミット
     ググ・ンバータ=ロー        エズメ・マヌチャリアン
     アリソン・ピル           ジェーン・モロイ
     マイケル・スタールバーグ      パット・コナーズ

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 アマチュア映画評論家のウシダトモユキという方がやっている「無人島キネマ」というPodcastがとても出来が良くて聞いているのですが、その番組で本作を絶賛していたので気になって観てみた。そして何を隠そう僕はジェシカ・チャスティンが大好きだ。初見は「ゼロ・ダーク・サーティー」。ジェシカ演じる主人公マヤが、ビン・ラディン襲撃へ出発するシールズの隊員を「私のために殺してきて」と見送るシーンがある。彼女はそのとき、CIAという職業人として「殺せ」と言ったのか、友人である同僚を失った女性として言ったのか。この映画について言えば、彼女にその区別が無いところにおもしろさがあるのだと思う。物語の進行と主人公ジェシカの職業人としての成長に平行して進むプかロフェッショナリズムとアイデンティティの同一化。そうか、『ハート・ロッカー』でもそうだったけど、キャスリン・ビグロー監督は偏執と隣り合わせのプロフェッショナルを描きたいのだな。そんな配役にぴったりハマっていたジェシカ・チャスティンのクールな情熱と真摯さ、そして押さえ込まれた葛藤の演技に僕は一目惚れした。単純に顔が好みでもある。
 
 さて、今回鑑賞した『女神の見えざる手』。傑作である。素晴らしい。映画の基本構成はほぼジェシカ・チャスティンの一人芝居。漫画「ジョジョの奇妙な冒険」のジョセフ・ジョースターばりに「おまえの次のセリフは ・・・」的な展開を次から次に重ねてくる脚本至上主義のサスペンス活劇。「え、どうなんの?どうなんの?」って物語が、後半にツーンと研ぎ澄まされて本作の(僕の考えるところの)テーマに収斂される構成は秀逸。少々の表現を変えて繰り返し使われる「ロビー活動は予見すること、敵の動きを予測し、対策を考える。勝者は敵の一歩先を読んで計画し、敵が切り札を使った後、自分の札を出す。」という台詞が主人公スローン(ジェシカ)の仕事の流儀を表しているのだが、脚本も徹底的にそれをなぞっていく。そう考えるといささか分かりやすくし過ぎた嫌いもあるが、それはこの素晴らしいエンターテイメント性に溢れた脚本の底にもう一本のテーマを仕込ませているからだろうと考えた。

 そのテーマとは…先鋭化した能力と人格ゆえの生きづらさとどう折り合いをつけるのかという事。彼女がアイデンティティを保つために犠牲にしなければいけないこと。それは家庭を持つ事であったり、友情を育む事であったり、心安らぐ日々を過ごす事であったりという事。スローンのマキャヴェリズムを地で行く仕事っぷりに、周囲の人間は彼女の優秀さを認めながらも戸惑い、時に傷付き、距離を取らずにはおれない。その事を彼女自身は自覚しながら、さらにロビイストとしての目的達成に傾倒していく。彼女の言う「勝つ為の能力」を行使することを自身の生き様に同一化していく。その様は果たして人並みの幸せを諦めた可哀想な女性の姿だろうか。それをそう感じさせない法案の内容と「メモ」の中身が秀逸なのだ。目的達成を目的化することなく、彼女は自己の信条をかたくなに守り、地位や報酬を潔く投げ打つ。全く違うジャンルの映画だが、『ダメージ』のラストを彷彿とさせるあの乾いた「達成感」がたまらない。

 『ゼロ・ダーク・サーティー』では、ジェシカ・チャスティンは全人格をもって職業に打ち込み、任務であるビン・ラディンの暗殺に成功したあと、喪失感とも言えないような微妙な表情を浮かべる。おそらくそこには自己の倫理とプロフェッショナリズムの間の葛藤があったのではないか。そして本作では生きることを勝つことと同義とすると腹を決めたある女性が自分なりの正義を貫くために、どこまでリスクを許容するかの葛藤の物語なのだ。そう、思い起こせば劇中で主人公の生い立ちはほとんど語られない。彼女がなぜそんな苛烈な人格になったかの説明はすっぱりと切り捨てられている。ラストを人情落ちにしなかったことも、観客の視点を散漫にさせないことに大きく貢献している。
さて、ロビイストの映画と言えばケビン・スペイシー主演の『ロビイストの陰謀』がある。とかくお金の話に目が行くが、私はあくまで、家族と仕事と男の話、自己実現とプロフェッショナリズムと信仰心の葛藤の物語と捉えている。フレームは『女神の見えざる手』と似ていながらほぼ真逆のメッセージになっているのが非常に興味深い。ケビン・スペイシーは「仕事の成功が全てではないよね、金じゃないよね」と刑務所の中から我々に伝えているようだった。

 そして『女神の見えざる手』において主人公は、「私、人に対する思いやりもないし利用することも厭わないソシオパスの一歩手前。だけど私をこの世に生かしてくれるせめてものお礼に、世直しに身を費やすわ。」と後ろ姿で訴えているような気がするのである。