作中では井沢が白痴の女性と性交渉していたかっていうのは明らかには書かれていないけど、おそらく肉体関係はあったんだろう。
でも私には白痴の女性と性交渉を持つという変態性は、この作品においてそれほど重要ではないように読めた。
職場や文化的な空気や戦争の激しい移ろいを背景としながら、井沢の世界に侵入してきた女性はラスト近くの一瞬を除いて一貫してニュートラルな存在。これがもし、押し引きができてしまう女性が相手だと、両社の関係性においての井沢の精神が語られることになる訳で、そんな作用反作用を殆ど起こさない対象のパーソナリティとして「白痴」が用いられたんではないかと。
井沢のそばに女性がいて、肉欲の対象になり、守るべき存在になり。
ただその女性が白痴であるがゆえに、井沢の精神がとても純粋に描かれていると感じた。
ラストの朝日のくだりはとても素敵だった。女性を「豚」に例えるけど、守って、食べさせてやらないといけない「肉体」であるという説明だと捉えている。そして井沢が太平洋戦争末期の極限の状況で生き延びるために必要とあらば、その豚の尻の肉を少しづつ食べながら交わるのだろう。
人間が生きるために必要なものを究極的に抽出したら、この作品に書かれているようなものになるんじゃないかと思う。井沢は、肉欲の対象がそばに現われたことで明らかには生存本能を逞しくしている。だから女性を見捨てたりしなかった。基本的に自分本位でありながら、愛情までには次元の上がらない、なんだろう、相互扶助でもない、他者を利用してでもという残酷さを越えた一個の魂のサバイバルを見たような気がする。
それにしてもアゴタ・クリストフの『悪童日記』を読んだときにも感じた「昔話では済まされない」この気持ちの悪さはどうしたものか。
- 作者: アゴタクリストフ,Agota Kristof,堀茂樹
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2001/05
- メディア: 文庫
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