ろぐの垂れ流し

LOVE定額の相手に着信拒否されたことあるか?!

映画『ボイリング・ポイント/沸騰』

映画『ボイリング・ポイント/沸騰』
監督:フィリップ・バランティーニ 
主演:スティーヴン・グレアム

 編集、CG無しの90分ワンショット。ガチでノーカット長回しでもって映画を一本撮っています。こういうのこそ劇場で観る値打ちありの大好物。もともとは1日2回の撮影を4日間実施する予定だったのが新型コロナの感染拡大で行政指導が入り半分の2日の日程しか撮影が出来ず、4回の撮影のうち3回目が公開用に採用されたとのこと。

 私、厨房のゴタゴタを観るのが大好きなんです。そういった意味で過去最高傑作は『ディナー・ラッシュ』でした。腕はいいけど博打狂いのスーシェフ・ダンカンのハチャメチャな仕事っぷりは普通はクビになってるよね~なんて思いながらホールスタッフがデシャップに向かって自分の担当テーブルの料理を督促するヒリヒリ感がたまらない作品でした。
 若干エンターテイメント寄りの味付けが強いですがブラッドリー・クーパー主演の『二ツ星の料理人』も、料理人の長時間労働や少々の狂気を孕んだプロフェッショナリズムが良く描かれていました。まな板にナイフの腹を押し付けて粘りを確認するシーンや、厨房スタッフの掃除の様子を本編に関係なくきちんと織り込んでくるところが料理への愛があって良い。
 で、本作なのですが、いやぁこれこそ愛だよ、愛。レストラン業界の現場への愛。しびれましたね。作風で言えば実は社会派の作品です。実際にレストランでの勤務経験の長い監督がリアルタイムに人気レストラン(実在する人気店を借用して撮影している)を舞台に労働問題や人種差別や移民問題や格差問題やカスタマーハラスメントやLGBTQ+への無理解やらをさまざまに投げかける。ですので「美味しい一皿が魔法のように生み出される厨房の活気にうっとり」的な味わいの映画ではありません。

 家庭は破綻してアルコールと薬物に依存しているオーナーシェフ(共同経営者有り)のアンディ・ジョーンズを演じるのはスティーヴン・グレアム。『スナッチ』でステイサムの舎弟をやっていたのがとても印象深かった彼も大御所の風格です。そんな彼が経営するのはロンドンのダウンタウンにある人気高級レストラン。クリスマス前の金曜日で予約がいっぱい。それなのにシェフのアンディは前日の発注はサボっているし店には遅刻するし、息子の行事は忘れてすっぽ抜かすし・・・だめな大人の典型みたいな描かれ方で人物紹介をされる導入で物語はスタートします。 遅刻して店に向かい速歩きするアンディを横から捉えるショットでスタートするのですが、そこからの90分、撮影監督マシュー・ルイスの体に装着されたジンバルとカメラが舞台となるレストランの厨房やホールに時にはバックヤードや裏路地を駆け回り、「沸騰」寸前のひりひりする人間模様を追いかけます。サイドストーリーで2本ほど破綻から立ち直る予兆を見せる脚本はありますが、ほとんどが「沸騰」して終わります。いや、それでいいんだと思います。

 尋常じゃないストレスとプレッシャーに晒されているのは、ショービジネス界の住人でも、特殊部隊の兵士でも、とんでもない金額を扱うトレーダーでもない、われわれ市井の人間にも特に親しみのある「食いもん屋で働く人々」です。ここに監督の本作に込めた「社会問題」を普遍化する仕掛けがピリッと効いていると思うのです。まずですね、サービスやモノに対価を払っているからといって人に対して横柄にふるまっていいと勘違いしている人間の比率や深刻度合いっていうのがその社会の成熟度というか「余裕度」を表すと思うのですよね。作中にも明示的、暗示的にカスタマーハラスメントが出てきます。明らかな人種差別からマイルドなマウンティングまで。それが日本ではなく英国でも同じく存在する構造的な社会問題だということに暗澹たる気分になりました。だからこそ、カメラが縦横無尽に駆け回るレストランの中で、それは私が大好きな料理とお酒とテーブルと調理機器の世界であるにせよ、同時進行的に起こっている問題だらけのアンサンブルドラマを「もっと楽しい脚本でエキサイティングに撮ればいいのに」と思った自己欺瞞に自覚的にならねばならないと思いました。そういう作品が他にあってもいい。だけどこの作品は「消費される舞台装置」としてのレストランではなく、それぞれ生活や家族や目標やストレスやプレッシャーや鬱屈を抱えた人間たちが働く「問題ある職場」たるレストランだからです。この映画にエンターテイメントを求めるとき、自分は間接的にレストラン業態に加害している。

 もともとがそういう問題意識で撮られたワンショットノーカット短編の作品を長編に拡張した作品なので、突飛な撮影スタイルに振り回される独りよがりなあざとさが無いのが素晴らしいです。緊張感あふれる店内に次から次への飛び込んでくるトラブルに徐々に従業員たちの精神が沸点に近づいていく切迫感や作品のテンションを維持するのにノーカット撮影は適しているし必然の選択だという納得感を強く感じます。実際には、鑑賞中にはその撮影方法の特殊さを意識することはほとんどなく、没入感が先行します。人物配置と店の構造とカメラの導線を綿密に計算した脚本を「店ありき」で作り上げてるから出来た稀有な90分と言えるでしょう。カット、編集、時間軸の前後、場面転換が制約されるのに、鑑賞者を飽きさせることなく引っ張っていく。カメラがそれまでとは違う従業員や客を捉え追いかけだしたとき、サイドストーリーに分岐したことを鑑賞者は明確に気付くし、店内からバックヤード、事務所やトイレにカメラが動く時に暗い場所や平板な色の内装をフレームに入れることで擬似的にカットやつなぎの効果を得ているところなどはその撮影方法とは逆説的で非常に技巧的だと感じました。

 間違いなく映画史に長く語られる作品になると思います。素晴らしい鑑賞体験でした。