ろぐの垂れ流し

LOVE定額の相手に着信拒否されたことあるか?!

藤井太洋 著『ハロー・ワールド』講談社

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 日本SF作家クラブ会長の池澤春菜氏がTBSラジオでお薦めしていたのがきっかけで購入したこの小説ですが、その経緯とカバーデザイン、タイトルからてっきりSFだと思っていました。

 ・・・いや、SFなんでしょう。SFと呼んで間違い無いとは思うんですが、なんとも凄いものを読んだな、という読後感です。主人公の文椎泰洋(ふづい・やすひろ)が最後まで活躍する連続した物語なのですが、5章立てでそれぞれが独立したテーマを持ち、舞台となる国も変わり、1話で完結する連作短編の体裁をとっています。

 スタートアップとして広告ブロックアプリの販売をしていたらとある国の政府による国民監視システムの存在に気付いてしまうという1話目「ハロー・ワールド」。勤め先が売り出すドローンをラスベガスの展示会に出展するために出張してきたが、挙動のおかしなグーグルカーと接触事故を起こし立ち往生した荒野で、Amazonの配送をしているドローンまでも不思議な振る舞いを見せ始めその原因を探る2話目「行き先は特異点」。出張先のバンコクで革命に巻き込まれ、会社の機材であるドローンを革命家に接収されて協力を求められるが、さて自由と平和を欲する他国の市民革命に対してどういう姿勢をとるべきかという3話目「五色革命」。自由の旗手であったはずのTwitterが中国進出を決め、引き換えに検閲用のバックドア中国共産党に差し出した事件を契機に権力からインターネットの自由を守るべくアプリ開発に乗り出す4話目「巨像の肩に乗って」。中国共産党の幹部職員から持ちかけられた暗号資産のシステム開発を軸に資本、再分配、徴税という近現代の統治システムに疑問を投げかける5話目「めぐみの雨が降る」。

 主人公がITエンジニアなので、ストーリーは全てテック系の内容です。そこがまず一つ目のこの作品の魅力でしょう。これまでビジネスが題材のエンタメはどうしても金融か製造が中心でした。ITが題材となるとどうしてもウィザード級ハッカーが登場するクライム・サスペンスになりがちです。それがこの作品はAppleGoogleAmazonTwitterも阿里巴巴集团(アリババ)も百度バイドゥ)も微博(ウェイボー)もSlackも実名で登場しますし、著者のソフトウェア企業務めのバックグランドが十二分に活かされたテック系「実業」エンターテイメントになっています。実はこれって新しいし他にはなかなかない風味だと思うのです。サイバーパンクよりぐっと身近で生々しい。iOSアプリの認証を取るプロセスであったり、オープンソースのソフトウェア開発者たちの連携であったり、コードの流用をする過程でオリジナルの作成者への敬意を忘れないところであったり、この業界の文化や風土が伝わってきて本当に面白いです。

 二つ目の魅力は主人公の造形でしょう。飄々としているようで礼儀正しくて信念の人。各章ごとにヒロイン的な登場人物が出てくるのですが、そんなキャラとの距離感も絶妙、というかほぼ何も起こらないのですが、それでもあるがままに魅力を感じていることを時折ぽろりと説明される温度がなんとも好ましいのです。さらに、主人公の海外出張の振る舞いなんかがいかにもビジネスパーソンあるあるで親近感が湧くし、「自分はiPhoneでもコーディングする」と自称「専門分野を持たないなんでも屋」が開発環境の多少の悪さを意に介さない描写なども同じ働き手として大いに共感するし勇気づけられます。滞在先でサンミゲルを飲む描写や朝食の自炊シーンなんかも楽しいです。ところがそんな主人公も章がすすむごとに明らかにステップアップしていき、業界での知名度や影響力を増していきます。勝負にベットする金額も数十億円になったりする。あるビジネスパーソンの成長物語としても十分に楽しめる作品になっています。


 各章の感想ですが、私は2話目の「行き先は特異点」が一番好きです。この一冊の中では最も牧歌的で平和な話ですが、群れて飛ぶ鳥の描写にはJ・G・バラード作品のような凄みがあります。 最終話の暗号資産の話も面白かったです。参考文献としては斉藤 賢爾『信用の新世紀』をお薦めします。とはいえブロックチェーンに関する基礎知識が無くても問題なく楽しめますし、作中にさらっと上手に解説が加えられていますので、逆にそこでご興味を持たれたようであれば『信用の新世紀』を読んでみられるのも良いかと思います。こちらもスゴ本ですから。