ろぐの垂れ流し

LOVE定額の相手に着信拒否されたことあるか?!

映画『THE LIGHTHOUSE』ロバート・エガース監督

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 映画に殺されるかと思った・・・
『THE LIGHTHOUSE』ロバート・エガース監督、ロバート・パティソン、ウィレム・デフォー主演
 二日前の日曜日に観てきたのですが、ダメージが大きすぎて触れる気にもなれなかった映画です。興味本位で観るもんじゃないですね。昨年のトラウマ映画『異端の鳥』なんてこの映画に比べたらハートウォーミング・ロードムービーです。なんなら『ニーチェの馬』は歯医者のモニターで流してもいいくらいの癒やし系環境ムービーに思えます。
 凄まじい映画でした。これから書くことで誤解を招かないように先に申し上げますと「大傑作」です。こんな映像作品をたかだか千円、二千円のチケット代で鑑賞できるなんてホントどうかしてると思います。
 映画の印象を一言で言えば「不愉快でとにかく怖い」です。映画を観たあとに自分がどういう感覚に陥ったかというと、ビジネスの関係でとある60代男性の武道経験者と面談をしたあとの気持ち悪さとそれは似たようなものでした。彼は多弁で支離滅裂、そして何かしらへの強烈な劣等感の裏返しだと思われる自己顕示欲と攻撃性を身にまとっていました。ビジネスライクな友好的態度に隠した暴力性と粗暴さが、隠しているわりには鼻につき、ただ仕事の話をしただけなのにこちらの自我を削り取られるようなダメージと、自分の安全圏を守り抜けなかったという恐怖と後悔が1週間ほど自分の皮膚にまとわりついたトラウマを想起させたのです。
 35mmに焼かれたモノクロームの美しい風景はしかし猛烈に荒れ狂っていて、主演二人の超絶技巧の演技合戦は気狂いの二丁掛けだから収拾がつく気配がないし、屈折したホモエロティシズムや異形への欲情やアルコール依存で立ち上がってくる幻覚はおぞましく、定期的に挟んでくる低音の霧笛はラヴクラフト的悪魔の呼び声のようで、かたやカモメや異形の鳴き声は狂気としか言いようのない不愉快な高音で鼓膜を攻撃してきます。これがスクエア画角の閉塞感のなかに繰り広げられる。
 ストーリーは、BLに昇華しきれないこじれた男二人がチャック・パラニュークファイト・クラブ』のノリで高村薫 『神の火』を繰り広げるというもの。
 この映画を観る直前にチャック・パラニューク原作の『ファイト・クラブ』を読んでいたのは僥倖でした。主演二人のマウントの取り合いが、権力闘争であるにせよ、その土俵がどちらが正気を保っていて、どちらが真実に基づいた発言をしているかに集約されているところが非常に興味深い点でした。外界から隔絶された環境で「どちらが本当らしいことを言っているか」でケンカするのです。
 これは非常に面白い設定です。
 なんせ唯一のエビデンスらしきものがウィレム・デフォー演じるベテラン灯台守の付ける日誌くらいしかない。これは新米ロバート・パティソンが嘘ばっかりだと食ってかかって、鑑賞者にはもう一体なにが本当でどっちに肩入れしてよいのか分からない脚本が波しぶきと雨と汗と低品質な蒸留酒と排泄物まみれで進行するのです。
 
 審判不在。
 
【ここからネタバレ注意】
 ここでチャック・パラニュークファイト・クラブ』を読んでいた下地が活きてきました。映画版ではエドワード・ノートンとブラッド・ピッドのキャラ立ちまくりの二人がヒロインと「自己決定権」の争奪戦をしていましたが、原作小説ではもう少し「ぼく」(映画版でいうところのエドワード・ノートン)の視線が強い。この映画『The Lighthouse』においても気狂い二人の主導権争いの体を装って、その実は新人君ロバート・パティソンのワンサイドの現実解釈物語のようなのです。
 冒頭で「気狂い二丁掛」と表現しましたが、果たしてウィレム・デフォー演じるベテラン灯台守は本当に狂っていたのか? 鑑賞後数時間経って記憶を辿ってみると、ウィレム・デフォーの狂気が表現されているシーケンスは新米ロバート・パティソンと一緒に島に入った初日か二日目の灯台の灯に対する異常な執着くらいしかありません。そこはあきらかにロバート・パティソンの主観から離れた表現がされていますが、それ以降は狂気のフェードインとも言うべきかロバート・パティソンの現実認識の上書きが始まっているようなのです。パワハラ体質なのは事実のようですが、私自身は「真鍮を磨け!」のセリフにウィレム・デフォー演じるベテラン灯台守のプロフェッショナリズムを感じます。つまり、ぐっと真実をウィレム・デフォー世界に寄せて考えるのです。
 そうなると、振り返ってこの映画のストーリーを総括すると、「ここではないどこかであれば自分は活躍できる」と勘違いしたポンコツが過去の過ちの自己認識をこじらせたまま、そしておそらくアルコール依存の問題を引きずったまま、新しい環境の下ベテラン灯台守と働くことになったのだけども、その根拠なき自信が屈折と狂気も蓄えてベテランと密室を飲み込んでしまったという話ではないかと解釈しています。
 警句的なメッセージとして、暴力に頼る解決はひたすら空虚だと訴えながら。