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長谷部恭男『憲法とは何か』岩波新書

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もともと改憲護憲に問題意識があって手にとったわけではなく、加藤陽子東大教授の『それでも、日本人は戦争を選んだ』(新潮文庫)に「長谷部先生は、この本のなかで、ルソーの「戦争及び戦争状態論」という論文に注目して、こういっています。戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃、というかたちをとるのだと。」(P.49)という言及があって興味を持ったのがきっかけでした。もちろん改憲は国家の一大事ですよ。
今日の朝から読み始めて昼過ぎには読み終えるくらいのボリュームです。いや、面白かったですね。知的冒険を堪能できました。
私が気になった内容を箇条書きで紹介します。
立憲主義とは価値観や世界観の衝突を避ける中途半端な煮え切らない立場を敢えて選ぶということである。
立憲主義が公権力の制限を課すのは、野放図な公権力よりも、制限を課された政治権力のほうが長期的に理性的な範囲内で強力な政治権力でありえるという「プレコミットメント」という考え方から来ている。
日本国憲法九条による軍備の制限というのは政治のプロセスにおいて軍の存在が民主政治の効果的な実現の妨げになることを回避するために、軍の正当性をあらかじめ剥奪して選択肢の幅を制限するという狙いがある。
憲法改正のハードルが高く設定してあるのは、もっと実行的な立法や行政で問題解決をすることへ政治的リソースを集中させるためである。
・日本の公務員に課せられているのは「美しい国」への忠誠ではなく憲法の遵守である。
・フィリップ・バビット教授(米テキサス大学)によると冷戦は第一次世界大戦を端緒とした極めて長期に渡る大戦争(The Long War)の一環である。そしてそれは共産圏が議会制民主主義を導入するという憲法改正によって終結した。
第一次世界大戦より「総力戦」となった戦争形態は大量の国民の動員を強いるために、その納得性を高めるべく国民の政治参加を拡大させ政治の民主化を押し進め、国民全体への福祉の向上を導いた。
・機会の拡大と引き換えに各個人へ責任を転嫁していくいわゆる新自由主義的な福祉国家としての任務分担を放棄する国家観では国民に国家を「愛する」よう仕向けることは難しいであろう。
この本を一冊読んで理解できたのは、自民党の思想というのはそもそも立憲民主主義とは相容れないものに変質しているなということです。だからといって彼らが躍起になっている憲法改正というのは日本国憲法の理念である立憲民主主義を本気で攻撃しようとしているのでもなさそうだと感じています。だってそんなことを本気でやろうとしているのであれば米国に追従して対中国戦線で矢面に立つ自家撞着はごまかしが効かないほど重大なものだからです。内実はともあれ、憲法という看板で立憲民主主義をかなぐり捨てることはないでしょう。
ただただ、さしたる覚悟もプランも国家観もなく、戦争のできる国に、核軍備できる国にしたいだけなんでしょう。