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モリー・グプティル・マニング著『戦地の図書館 海を超えた一億4千万冊』

『戦地の図書館 海を超えた一億4千万冊』

モリー・グプティル・マニング著、創元ライブラリ

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 これは面白い! 歴史、文学、文化、米国風俗史の勉強になるし、なにせエキサイティングで泣ける!

 本の帯にはこういう紹介文があります。「戦地の兵士に本を送れーーー第二次大戦中にアメリカが展開した市場最大の図書館作戦の全貌とは?」・・・読むでしょ、これは。

 このノンフィクションはナチスの文化浄化、焚書(ふんしょ)の歴史的描写からスタートします。ナチスが燃やすべき書籍の対象とした著者にはカール・マルクス、アプトン・シンクレア、ジャック・ロンドンハインリヒ・マンヘレン・ケラーアルバート・アインシュタイントーマス・マン、アルトゥル・シュニッツラーが含まれていたそうで、逆説的にユダヤ著作家達の偉大さが際立ちます。これらの書物は帝国文化院の長ゲッペルスの指導のもと焚書されてしまいます。本を大事にしなければいけないはずの大学生達が率先して炎の中に反ナチス的であると指定された書物が投げ入れられていたそうです。

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 これに対して米国はまず「思想戦」として本を武器にすることを考えます。ファシズム帝国主義に対抗する自由民主主義の武器として「本」を活用しようとしたわけです。さらに戦地に送られた兵士のストレスは凄まじく、余暇娯楽の必要性から「兵隊文庫」と呼ばれる簡素な装丁の軽く持ち運びやすい本を大量生産して戦地に送ることを計画するわけです。

 この序盤の部分で「アメリカはなんて文化教養水準の高い啓蒙主義の国なんだ!」と両手をあげて称賛する気にはなりませんでした。あくまで「戦争の手段」として合理的にはじきだされた「軍事作戦」の一つであるわけで、我が国の旧帝国軍の非合理性は努めて反省し批判すべきなのは当然のこととして、私がなんとなく違和感を感じたのが1940年以降に文化事業を担う人たちが既に反戦を主張するわけではなく、戦争に勝つために努力を始めているというところです。

 それだけ「対ファシズム」という開戦理由は米国民にとって納得性の高いものであったということでしょうし、比較してベトナム戦争が米国民にとってどんな意味を持つ戦争であったのかということを考えてしまいました。

 そして本書ではこのプロジェクトに携わる人達の試行錯誤や事業推進の様子がプロジェクトX的扇情的語りよりは随分抑えめの淡々とした文章で描かれます。国民から本の寄付を募る広報の話や、戦地に本を送るロジスティックスの不均衡の解消、出版社とのコストダウンの攻防・・・おそらく現代であっても日本だったら全く違うアプローチで解決されるだろうなという、いちいち丁寧な交渉や話し合いが面白いです。

 さらに、私がこの本を読んで特に心を動かされたのは兵士たちの「本」との向き合い方です。

(前略)兵士は人を殺す訓練を受け、前線では、筆舌に尽くし難いほど残忍な行為を目の当たりにした。しかし、「私たちの軍の兵士は本を読むという行為をしているのだから、(まだ)人間なのだ、と思うことができました(p.56) 

 

携帯用戦闘糧食(Kレーション)の包みに貼られたラベルに内容物が記されていると、前線の兵士はそれを読む。とにかく何かを読みたいのだ(p.103) 

 

乗船が始まると、兵士は必要性の低い物を埠頭に捨てた。荷物が重すぎたからだ。埠頭には、兵士が捨てていった様々な物が散乱していた。「後から回収班が埠頭を回ってそれらを集めたが、その中には兵隊文庫はほとんどなかった」兵隊文庫の重さはわずか数オンスで、兵士が携行するものの中で一番軽い武器だった。(p.145) 

 

砲撃のさなか、ふと見ると、隊員のひとりが本を読んでいました。何を読んでいるのだと尋ねると、彼は『ブルックリン横町』ですと答えました。そして、”乳離できないガッシー"の部分を私たちに読んでくれました。砲弾が炸裂する中、皆で腹を抱えて笑いました。じつに愉快でした。(p.178) 

 

 読書に関するこういった戦場の描写や体験談に出くわすたびに手が震えるような心地になって涙が止まりませんでした。デジタルガジェットに囲まれて安穏と暮らす今の自分には想像しかできない過酷な状況ですが、二度ICUに入るような外科手術を経験した身としては、体力的な消耗が激しくて、でも、精神的飢餓感や不安感がそれほど強くなければ本を読みたいとは思わなかったな、と思い出されるのです。肉体的な辛さを乗り越えてまで本を手に取ろうとは思いませんでした。だけどもこの本では大怪我をした野戦病院の兵士がずっと本を読んで過ごしたというような光景も語られています。戦争という非人間的な環境の中で、兵士が正気を保つために必要としたことが「一人で静かに読書をする」ことであったというのは、とても深い示唆を与えてくれるものだと思うのです。ショウペンハウエルはその著書『読書について』で"読書は思索の代用品にすぎない。読書は他人に思索誘導の務めをゆだねる。"と説いていて、そのことがこの『戦地の図書館』を読んでやっと納得できたいような気がします。狂気にすら片足を突っ込む戦火では、読書は精神を安全圏に退避させ、思索を危うい方向に進ませないためのガードレールになり得るのだと。

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 最後にはこの兵隊文庫の事業が復員兵の知識教養の向上につながったという話で本書は締めくくられています。

兵士らは、帰国した時にはすでに、プラトンシェイクスピアディケンズの作品を読んでいた。歴史、ビジネス、数学、科学、ジャーナリズム、法律に関するものを前線で読んだ兵士もいた。そして、大学で学ぶ機会を与えられ、読書に勤しんだように勉学に勤しんだ。砲弾が炸裂する中、蛸壺壕に潜んで本を読んだ彼らは、学業を成し遂げる力を身につけていたのである。(p.256) 

 

 本好きの人にはたまらん系のノンフィクションでした。昨年の年末に求めやすい文庫版が出たばかりです。おすすめです。
 2021年の一発目がこの本で、私は幸せを感じています・・・