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『ジョーカー / JOKER』(アメリカ 2019) 映画感想

『ジョーカー / JOKER』(アメリカ 2019)

 

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監督: トッド・フィリップス
出演: ホアキン・フェニックス  アーサー・フレック
    ロバート・デ・ニーロ   マレー・フランクリン
    ザジー・ビーツ      ソフィー・デュモンド
    フランセス・コンロイ   ペニー・フレック


<ストーリー>
大都会の片隅で、体の弱い母と2人でつつましく暮らしている心優しいアーサー・フレック。コメディアンとしての成功を夢みながら、ピエロのメイクで大道芸人をして日銭を稼ぐ彼だったが、行政の支援を打ち切られたり、メンタルの病が原因でたびたびトラブルを招いてしまうなど、どん底の生活から抜け出せずに辛い日々を送っていた。そんな中、同じアパートに住むシングルマザーのソフィーに心惹かれていくアーサーだったが…。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=368253

 

【ネタバレあり】

 本作鑑賞後の劇場の帰り嗚咽が止まらなかった。夜道をゴフゴフ言いながら歩く四十過ぎのおっさんといえばそれは不審者と呼んで構わない。なんだろう、この映画が掻き立てた感情は。ふと、口元を左手で押さえて声とも息ともつかない空気の喘ぎをどうにかしようとしている傍目に滑稽な自分の姿が、劇中のホアキン・フェニックス演じるジョーカーの姿にダブってきて、そうか、と少し分かった気がした。この映画は「どこにでもいる全ての異形なる人々」へ生きろと伝えているのだろうと一人で勝手に納得したのだ。脳内ではあいみょんの『生きていたんだよな』が爆音再生されていた。

 

 開始冒頭の暴力的な迫力と機織り機で織っていったような緻密なカット割りに圧倒される。カメラを振り回すことなく、スクエアに近い画面にローファイな色味で絵を作りながらごく現代的な文法で映画を組み立てていく。タイトルロールが出た瞬間に、鑑賞者には期待感と高揚感と同時に極めて不吉な予感が与えられる。本作の冒頭で鑑賞者はこの映画が「ジョーカーが生まれ持って内に秘めていた悪に覚醒する」ルーツ探訪のストーリーでないことを突きつけられて絶望するのだ。それくらい、冒頭のアーサーは弱々しくいじましい。鑑賞前に抱いていたジョーカーのイメージの源流にアーサー(劇中、ジョーカーと呼ばれる前の役名)がいないことを目の当たりにするのだ。

 

 この映画を観てのトッド・フィリップス監督の印象は秀才肌の勉強家。バットマン・サーガにおけるジョーカーをモチーフにして様々な映画へのオマージュを束ねている。『タクシー・ドライバー』トラヴィスの社会との断絶を軸としながら、『キング・オブ・コメディ』パンプキンの強烈な承認欲求と没入感をからめて、ブーツを広げるときの背中からのカットに見られるような『マニシスト』の肉体的な異物感というエッセンスを加えつつ、この3作品の記憶や自我の危うさというテーマを強烈に引用している。個人的には『メイド・イン・ホンコン』の拳銃への執着に通じるものを感じてニヤリとしてしまった。

 

 それに対してホアキン・フェニックストッド・フィリップス監督の広げた風呂敷の倍の演技をしていたという印象だ。見事にトラヴィスからアーサーへのバトンを受け取ったと思う。それにヒース・レジャーホアキン・フェニックスがそれぞれ演技への執念を燃やして指向した「ジョーカー」は別のものだと思っている。命を削るような演技で知性と狂気を込めたカリスマティックかつヒロイックなヒース・レジャー演じるジョーカーとは違い、ホアキンのジョーカーはborn to killlが悪のルーツを辿る物語ではなく、もっと不格好で惨めな魂が、自分勝手にひどく間違った救済を受けるべくもがき苦しむ「我々の物語」だ。

 

 アーサーは何度も社会へのアクセスを試み、そして失敗している。結果、ゴッサムシティという非常に現代的な社会に適合したのがジョーカーというペルソナだ。そこまでの過程を「社会の包摂力」などという上っ面なキーワードで一般化し教訓化することなど無意味だ。「○○○がもう少しアーサーのことを受け止めていれば・・・」なんてしたり顔で語ることはこの映画の鑑賞の作法にそぐわない。劇中に2回、バスの車窓越しにアーサー(ジョーカー)の顔が映るショットがある。前半と後半、ある契機を境にして2回。表情が全然違うのを思い出されただろうか。後半にある窓越しのジョーカー(アーサー)の表情は本当に清々しいのだ。喜びに満ち溢れている。

 

 クライマックスを経てラストシーン、キューブリックの『時計じかけのオレンジ』のような痛烈なアイロニーさえもそこにはない。諦観なんてものは微塵もない滑稽なほど「生」に執着してもがくジョーカーの姿に僕らはドス黒い希望と爽快感を覚えるのである。そう、これは「毒性の青春サクセスストーリー」だ。『ナイト・クローラー』のように善悪の彼岸から投げかけられたクズの成り上がり物語。そこには道義的批判も憐憫も必要ない。その局面まで痛々しさややるせなさを顔面の圧迫演技で押し続けたホアンキンが、道化の本分である喜劇に道筋をつけたというあのシーンは映画史上に残る名演技だ。

 

 最後に厄介な「道徳」の問題が残る。不遇な境遇、精神疾患を持った人間の殺人の話を果たして「毒性の青春サクセスストーリー」などと賛美までとはいかなくても肯定してよいものだろうか。『タクシー・ドライバー』当時、ベトナム戦争によって浮き上がった「社会不適合」が現代に可視化された虐待や精神疾患というに社会的課題に姿を変えて今我々の前にある。アーサーが「生きる」意味を本人がもがき苦しみながら勝ち得た過程として我々がその物語を読み解くとき、物語の天秤の反対に異物の排除や同質性の強要という現代社会の病質性が乗せられているのであるならば、資本やシステムと手を結んだその病質性が強大であるこの状況を踏まえて、それに抗う「ジョーカー的な何か」は我々が生きづらさを克服する上で必要な「毒」ではないかと思えるのだ。

 

 僕にとってこの作品は最高に爽快で唯一無二な「毒性の青春サクセスストーリー」だったということをここにもう一度繰り返しておきたい。

 

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