ろぐの垂れ流し

LOVE定額の相手に着信拒否されたことあるか?!

『藤十郎の恋』菊池寛

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【リアリティーショウ】

 世にある、人の惚れた腫れたをネタにするリアリティーショウというのが好きではない。どちらかというとお金を払って芸事を楽しむということには積極的なの方だと自覚しているけど、地上波でセミプロ同志がじゃれ合ってる様子を楽しむおおらかさは僕には無い。


 それほどまでにシナリオ通りか、そこを踏み外した本気なのかのせめぎ合いを楽しみたいのなら菊池寛の「藤十郎の恋」を読めばいい。


 青空文庫にもあって無料で手に入るし、20分くらいで読み終わる。


 これを読めば、芸事に人のリアルな気持ちを持ち込むことの危うさと、もしそれをやるとするならばどれだけの覚悟がいるかが分かる。決して愉快な気持ちになんかはならない。

『バイス / VICE』(アメリカ 2018) 映画感想

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監督 :アダム・マッケイ
出演:クリスチャン・ベイル ディック・チェイニー
   エイミー・アダムス  リン・チェイニー
   スティーヴ・カレル  ドナルド・ラムズフェルド
   サム・ロックウェル  ジョージ・W・ブッシュ
   タイラー・ペリー   コリン・パウエル
   アリソン・ピル    メアリー・チェイニー
   ジェシー・プレモンス カート

【解 説】

ダークナイト」「アメリカン・ハッスル」のクリスチャン・ベイルジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領(バイス・プレジデント)を務めたディック・チェイニーを演じた実録政治ブラック・コメディ。9.11同時多発テロを受けてイラク戦争へと突入していったブッシュ政権の驚きの内幕を、チェイニーの知られざる実像とともに過激かつ皮肉いっぱいに描き出す。共演はエイミー・アダムススティーヴ・カレルサム・ロックウェル。監督は「俺たちニュースキャスター」「マネー・ショート 華麗なる大逆転」のアダム・マッケイ。
 1960年代半ば。酒癖が悪くしがない電気工に甘んじていた若きチェイニーは、婚約者のリンに叱咤されて政界を目指し、やがて下院議員ドナルド・ラムズフェルドのもとで政治のイロハを学び、次第に頭角を現わしていく。その後、政界の要職を歴任し、ついにジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領の地位に就く。するとチェイニーは、それまでは形だけの役職に過ぎなかった副大統領というポストを逆用し、ブッシュを巧みに操り、権力を自らの元に集中させることで、アメリカと世界を思い通りに動かし始めるのだったが…。https://www.allcinema.net/cinema/366360

 

 僕がクリスチャン・ベイルのことを最初に認識したのは『アメリカン・サイコ』を観た時。劇中の役の設定はクソ野郎だけど、あぁ本当にこの青年は美しいな、と思ったことを覚えている。そしてその思いは『ファーナス』を観たときにさらに深まった。演じることへの真摯さが表に溢れてしまって、それが味になっちゃっている実は不器用な俳優だと思う。


 今回は彼がジョージ・W・ブッシュ大統領時代に副大統領を務めたディック・チェイニーを演じている『バイス』を鑑賞した。


 感想を一言で言えば番宣の印象よりも随分とシリアスで辛辣で闇が深い。そして映画として、とてもとても上質。特にあのトリッキーな狂言回しの設定は本当に驚いた。『トルー・グリッド』の狂言回しも印象的だったけど、あれに匹敵するくらい上手い設定。


 配役についても、こんなにすげぇ俳優たちに実在の人物を演じさせているんだから、面白い演技が観られないわけがない。


 主演のクリスチャン・ベイルの演技が驚くほど抑制されている点は改めて素晴らしい。押し感はスティーブ・カレルの方が強いけど、カレル演じるラムズフェルドほど悪辣さを感じさせず幼稚ささえ漂わせる純粋なくらいの権力欲には凄みがある。「権力志向の強い静かな黒子」の恐ろしさを上手に表現している。同じ監督の『マネー・ショート』に続きベイルとともに出演しているスティーブ・カレルがまたいいんだ。「ラムズフェルドってそんなに悪人やったん?」っていうくらいダークなオーラを発してる。サム・ロックウェルも最高。ブッシュJr.って「あぁほんまにアホのお調子モンやってんなぁ・・・」って笑いを通り越して悲しくなるくらいの操り人形感。これが他人事ではない我らが日本の現状を鑑みるに、権力構造に古今東西繰り返されたよくある景色なんだろう。


 素材的にこの作品がアダム・ドライバーの『ザ・レポート』や、『ザ・レポート』でも引用されている『ゼロ・ダークサーティー』につながっていると思うと非常に興味深く鑑賞できた。ライス大統領補佐官が出てくるたびに『The Looming Tower(倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道)』でめちゃくちゃ批判的に描かれていたなぁ、と苦笑いが出たりとか。

 そして最後に、権力者が専門知を総動員して「法の解釈」をガバガバにして骨抜きにし、イメージ戦略「言い換え」を駆使する現代的政治の技術は恐ろしい。あの時代、米国は本当に傷んでしまったんだと思う。

 

ザ・レポート (字幕版)

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マネー・ショート華麗なる大逆転 (字幕版)

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『エニイ・ギブン・サンデー / ANY GIVEN SUNDAY』(アメリカ 1999) 映画感想

監督:オリヴァー・ストーン
出演:アル・パチーノ     トニー・ダマト
   キャメロン・ディアス  クリスティーナ・パグニアーチ
   デニス・クエイド    ジャック“キャプ”ルーニー
   ジェームズ・ウッズ   ハービー・マンドレイク医師
   ジェイミー・フォックス ウィリー・ピーメン
   アーロン・エッカート 

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【解 説】鬼才オリバー・ストーン監督が、アメリカン・フットボール界の裏舞台を描いた意欲作。チームに命を賭けるヘッドコーチを中心に、そのオーナーやメンバーたちの交錯する思惑を群像劇スタイルで捉える。移動カメラを駆使した、エキサイティングな試合シーンは必見。アル・パチーノキャメロン・ディアス共演。連敗続きのアメフト・チーム、マイアミ・シャークス。観客減と主要選手の負傷に悩んでいたヘッド・コーチのダマトは、起死回生を狙い新人選手を投入する。https://www.allcinema.net/cinema/159817


なんだこれ? めっちゃオモロイじゃないですか!!


オリヴァー・ストーンの映画って苦手でして、戦争モノとヤクザモノはだいたいアウト。だけど、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』と『ブルースチール』はめちゃんこ好きと自分の中で両極端なんですが、どうもこの作品は好きなほうにハマったみたいです。


ストーン映画の画をいじりすぎる悪い癖は健在ですが、アメフトのプレイがスタートした直後の群衆シーン的な撮り方やアル・パチーノジェイミー・フォックスのやりとりにベン・ハーを被せるとこなんかは流石の憎いあんちくしょうでした。


私がジェイミー・フォックスを認識したのは『ジャー・ヘッド』を劇場で観た2006年くらいなのですが、実はこんなにとんがって生意気な彼を観たことがなかったのですごく新鮮。無名選手が見出されて天狗になってチームから不評を買って無視されて挫折なんてお約束を陳腐にせずによく演じていました。女子トイレでのリベンジ口説きのシーンはすごくハツラツとしていてキュートで良かったです。


アル・パチーノも楽しそうにやってて良かったです! 私は『カリートの道』『セント・オブ・ウーマン』が大好きなのですけど、最近観た『ミッドナイト・ガイズ』(クソ邦題)で楽しそうに演技しているのが印象的で、今、Amazon Originalでやっている『ナチ・ハンター』(クソ邦題)でも、まぁひょうひょうと出っ張ったお腹を感じさせない軽妙で絶妙な演技をしてるんですけど、それに通じるキャラが表に出てて好みのタッチです。


とはいえ、それでも熱~い名台詞のオンパレードには拍手喝采でした(実際に拍手してました)。


キャメロン・ディアスデニス・クエイドももちろん良いのですが、自分はジェームズ・ウッズ演じる人格に難のあるチーム・ドクターが好きですねぇ。こんな彼にもクライマックスを準備する脚本にスキ無し。


それと知的で攻撃的なブレーン役のアーロン・エッカートが格好よろしい。『エンド・オブ~』の大統領役も好きでしたし『ダークナイト』のトゥーフェイスも鮮烈だったし、自分は顎割れ美男子が好きなんでしょう。ニコライ・コスター=ワルドー(『ゲーム・オブ・スローンズ』のジェイミー・ラニスター)なんて大好物ですし。


164分と長いですけど、それでも複数の主要登場人物にきちんとオチをつけていく丁寧な脚本なのでそれも仕方ないと思いました。自分はダレることなく観終わりました。


そして、ラスト。
いやはや痛快で笑いが止まらなかったです。
面白い!!

 

<追 記>
漫画「ジャイアント・キリング」がどんだけこの作品に影響されているのかツジトモ先生に聞いてみたいものです。スタジアムの引き画で監督(コーチ)とボランチクォーターバック)が語り合って薫陶を授かるとこなんてモロですよね。

 

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読書感想『読書について 他二篇』ショウペンハウエル著、岩波新書

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『読書について 他二篇』ショウペンハウエル著、岩波新書

 

 著者は1800年代中盤に活躍したドイツ人の哲学者。ニーチェに影響を与え、そしてそのニーチェと相互に刺激しあったと言われている文豪がドストエフスキー。そんな世代の人の書いたもの。内容を簡単に言うと、上から目線のおっさんがずっと怒っている本。批判の対象は、価値の無いテキストの氾濫、簡潔さを至上命題として国語(ドイツ語)をズタズタに改悪する当時の文壇、バズった話題書を追いかける意識低い系読者層、金のために無責任な批評を書く匿名ライター・・・などなどで、あまりに現代的すぎて苦笑いが止まらない。200年近く人間の「書物」に対する態度は紙がデジタルになったところでそないに変わっていないということか。

 

 なんでそんな本を買って読んだのかというと、多読という行為についてたいそう辛辣な考えが綴ってあるから。ちょっと自分の頭のネジを巻きなそうと思って。

読書は思索の代用品にすぎない。  

読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。絶えず読書を続けて行けば、仮借することなく他人の思想が我々の頭脳に流れ込んでくる。ところが少しの隙もないほど完結した体系とはいかなくても、常にまとまった思想を自分で生み出そうとする思索にとって、これほど有害なものはない。 

 読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。自分で思索する仕事をやめて読書に移る時、ほっとした気持ちになるのも、そのためである。だが読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。 

 もう身も蓋もない。

 彼自身が哲学者であり著作家であるという前提を割り引いて考えても、私が考えていた「勉強家」の姿を「アホなコピペ野郎」と断じている訳で。

ただ、定評ある専門の大家による著作、長い時間の評価にさらされ生き抜いた古典を読むべき、という考え方はビジネス会の読書クレイジー出口治明氏(ライフネット生命会長)の考えと同じであるし、「本は2度読め」というのは『知的生産の技術』で梅棹忠夫氏で書いてあることと同じであることを踏まえると、この本の中身は世の中の普通の読み手に対しても言えることなのかしら。自分はあとで引けるリファレンスを増やすことが主目的になっていて、自分に内在化させるという読み方をしないので、少し読み方を考え直してもよいかとも思った。

 

 さらに、ショウペンハウエルがことさら批判をする「悪書」について彼はこう言っている。

 悪書を読まなすぎるということもなく、良書を読みすぎるということもない。悪書は精神の毒薬であり、精神に破滅をもたらす。
 良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間と力には限りがあるからである。 

 

 当時は紙媒体しかなかったことを考えると「書物」というのはいわゆる「ニュースソース」全般であると考えて間違いないだろう。つまり、自分が取り入れる「ニュースソース」には責任を持って取捨選択せよ、と言っているだ。

 溜飲を下げるために差別的な言説にハマってしまう中高年ネトウヨや、極端な例で言えば相模原事件の植松被告のように、触れるソースで人間はコロッと思想信条を染められてしまうのである。だから僕は口に入れるものと同じくらい読み聞きするニュースソースについて神経質であろうと思う。

 

 さらにショウペンハウエルは現代日本SNSやウェブ媒体の将来を見通していたかのような鋭い指摘を投げかけている。

このような匿名評論家は、厚顔無恥なふるまいをいろいろ見せてくれるが、なかでも滑稽なのは、国王のように一人称複数の「我々は」という形式で発言することである。

 まさに自称愛国者の言説の「クセ」を見事に喝破していて面白い。いつの時代にも「勝手に代表者」はいるものなのね。

 

 

最後に権益層のみなさまに素敵な諫言をひとつ。

無知は富と結びついて初めて人間の品位をおとす。

 

読書感想『それからはスープのことばかり考えて暮らした』吉田 篤弘

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優しくて可愛らしい手触りの話だ。


全体的に毒気がほとんど感じられないファンタジーのような東京下町の人情話。同じような料理の温かさ、同じような人情味がトッピングされても江國香織だともうすこし愛憎というかスパイスが強くなると思う。


この本に出てくるサンドイッチもスープもラーメンも登場人物の人柄を表すように優しくてふくよかで美味しそう。だけども料理や料理方法に関する描写はあえてフワッとさせていてテクニカルな方には決して筆を進めない。あくまで優しいゆったりとした筆致に統一された描写。それでもやっぱり料理は大事なウエイトを占めるアイテムなのでその「書かなさ加減」は絶妙と言える。


主人公の青年は飄飄というかのんびりした映画好きの好青年だけども、なんかの小説に出てくるレコード屋バイトのジャズ好き、コーヒー好きの大学生よりよっぽど僕にとっては好感度が高い。


この小説にはごっそりと若い女性の登場人物が削られている。実世界の人物としての話だけど。それが郷愁や喪失感を上手に醸し出していて大胆だけど面白い設定だと思う。


それに何より、キーマンになる女性二人がなんとも魅力的。確かに若くはないのだけど、美人の書き方が凄く上手ですよ。

ゆるく生きるために熱く戦う---寛容と強さ

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 本を読みながら、引いてある文献に安い中古が有ればどれこれ構わずオンラインで買ってしまうので、週に数冊の本が届きます。
 最近、写真にある本が届きました。だけども、森嶋通夫さんのことは知らないし、何が気になって買ったのかも思い出せない。ただ、最近で日本人の本が届いたというところからおそらく出口治明氏の本を読んでるときに買ったのではないかと思われます。
 表装もない、またいい感じの古本ですよ。
 初版が1977年の新書版とはいえ当時新品で280円という価格表示に時代を感じます。
 読んでみるとこれがまた面白い。この本に書かれている先入観のままのイギリス人観しか持ち合わせていなかったことに気付かされ、古さを感じさせない刺激と学びの多い本です。
 まだ半分も読んでいませんが、引用した一説は痛快だったなぁ。
 「イギリス人がナチズムに対して頑強に戦ったのは、寛容な社会を保存するためであった」し、国民は戦争に対して冷ややかな態度も持っていました。翻って、国民が一丸となって熱狂したところで戦争には勝てないということです。日本がそうだったのですから。
 本当に身につまされる話ですし、近頃の日本のキナ臭い空気を見るにつけ、歴史に学ばず一体なんのノスタルジーに浸ってるんだと怒りを感じます。批判を恐れず言いますが、僕は「坂の上の雲」症候群が大嫌いなんです。

さて、フランクリン・D・ルーズベルトはこう言っています。

人の優しさが自由な国民の精力を弱めたり、その性質を軟弱にしたという例は決してない。国家は頑強であるために、なにも冷酷である必要はない。

 

 卑近な話に置き換えれば、スポーツに強くなるためにシゴキが必要なわけではないですし、行儀の良い子供を育てるのに体罰は必要ありません。経営を強くするためにオラオラマネジメントが必要なわけじゃないですし、国が強くなることと右傾化することは同じではありません。

以下、引用です。

 もう一度、戦争中の話にもどりますが、タイムズには「二十五年前」という欄があり、二十五年前のその日のタイムズの記事のうち面白い記事を抜粋しています。数年前には、二十五年前は戦争中でしたが、その中に次のような記事がありました。「次の週末には、おそらく敵の空襲があるだろう。したがってもし皆さんが外出される場合には、帰りの汽車が不通であるかもしれないということを勘定にいれて、どうぞご外出ください。」だから当時の日本人から見て非国民的に行動していたのは単に労働者だけではなく、イギリス人全体が多かれ少なかれそうだったと思います。
 イギリス人がナチズムに対して頑強に戦ったのは、寛容な社会を保存するためであって、したがって、戦争中につくられた戦意高揚映画の多くは、ナチス国家との対比で英国における自由を非常に強調しております。それゆえ多くの映画で、ドイツ人は非常に規律正しく、イギリス人はむしろだらけたようにえがかれております。

『イギリスと日本』森嶋通夫 著、岩波新書、1977年

 

『ジョーカー / JOKER』(アメリカ 2019) 映画感想

『ジョーカー / JOKER』(アメリカ 2019)

 

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監督: トッド・フィリップス
出演: ホアキン・フェニックス  アーサー・フレック
    ロバート・デ・ニーロ   マレー・フランクリン
    ザジー・ビーツ      ソフィー・デュモンド
    フランセス・コンロイ   ペニー・フレック


<ストーリー>
大都会の片隅で、体の弱い母と2人でつつましく暮らしている心優しいアーサー・フレック。コメディアンとしての成功を夢みながら、ピエロのメイクで大道芸人をして日銭を稼ぐ彼だったが、行政の支援を打ち切られたり、メンタルの病が原因でたびたびトラブルを招いてしまうなど、どん底の生活から抜け出せずに辛い日々を送っていた。そんな中、同じアパートに住むシングルマザーのソフィーに心惹かれていくアーサーだったが…。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=368253

 

【ネタバレあり】

 本作鑑賞後の劇場の帰り嗚咽が止まらなかった。夜道をゴフゴフ言いながら歩く四十過ぎのおっさんといえばそれは不審者と呼んで構わない。なんだろう、この映画が掻き立てた感情は。ふと、口元を左手で押さえて声とも息ともつかない空気の喘ぎをどうにかしようとしている傍目に滑稽な自分の姿が、劇中のホアキン・フェニックス演じるジョーカーの姿にダブってきて、そうか、と少し分かった気がした。この映画は「どこにでもいる全ての異形なる人々」へ生きろと伝えているのだろうと一人で勝手に納得したのだ。脳内ではあいみょんの『生きていたんだよな』が爆音再生されていた。

 

 開始冒頭の暴力的な迫力と機織り機で織っていったような緻密なカット割りに圧倒される。カメラを振り回すことなく、スクエアに近い画面にローファイな色味で絵を作りながらごく現代的な文法で映画を組み立てていく。タイトルロールが出た瞬間に、鑑賞者には期待感と高揚感と同時に極めて不吉な予感が与えられる。本作の冒頭で鑑賞者はこの映画が「ジョーカーが生まれ持って内に秘めていた悪に覚醒する」ルーツ探訪のストーリーでないことを突きつけられて絶望するのだ。それくらい、冒頭のアーサーは弱々しくいじましい。鑑賞前に抱いていたジョーカーのイメージの源流にアーサー(劇中、ジョーカーと呼ばれる前の役名)がいないことを目の当たりにするのだ。

 

 この映画を観てのトッド・フィリップス監督の印象は秀才肌の勉強家。バットマン・サーガにおけるジョーカーをモチーフにして様々な映画へのオマージュを束ねている。『タクシー・ドライバー』トラヴィスの社会との断絶を軸としながら、『キング・オブ・コメディ』パンプキンの強烈な承認欲求と没入感をからめて、ブーツを広げるときの背中からのカットに見られるような『マニシスト』の肉体的な異物感というエッセンスを加えつつ、この3作品の記憶や自我の危うさというテーマを強烈に引用している。個人的には『メイド・イン・ホンコン』の拳銃への執着に通じるものを感じてニヤリとしてしまった。

 

 それに対してホアキン・フェニックストッド・フィリップス監督の広げた風呂敷の倍の演技をしていたという印象だ。見事にトラヴィスからアーサーへのバトンを受け取ったと思う。それにヒース・レジャーホアキン・フェニックスがそれぞれ演技への執念を燃やして指向した「ジョーカー」は別のものだと思っている。命を削るような演技で知性と狂気を込めたカリスマティックかつヒロイックなヒース・レジャー演じるジョーカーとは違い、ホアキンのジョーカーはborn to killlが悪のルーツを辿る物語ではなく、もっと不格好で惨めな魂が、自分勝手にひどく間違った救済を受けるべくもがき苦しむ「我々の物語」だ。

 

 アーサーは何度も社会へのアクセスを試み、そして失敗している。結果、ゴッサムシティという非常に現代的な社会に適合したのがジョーカーというペルソナだ。そこまでの過程を「社会の包摂力」などという上っ面なキーワードで一般化し教訓化することなど無意味だ。「○○○がもう少しアーサーのことを受け止めていれば・・・」なんてしたり顔で語ることはこの映画の鑑賞の作法にそぐわない。劇中に2回、バスの車窓越しにアーサー(ジョーカー)の顔が映るショットがある。前半と後半、ある契機を境にして2回。表情が全然違うのを思い出されただろうか。後半にある窓越しのジョーカー(アーサー)の表情は本当に清々しいのだ。喜びに満ち溢れている。

 

 クライマックスを経てラストシーン、キューブリックの『時計じかけのオレンジ』のような痛烈なアイロニーさえもそこにはない。諦観なんてものは微塵もない滑稽なほど「生」に執着してもがくジョーカーの姿に僕らはドス黒い希望と爽快感を覚えるのである。そう、これは「毒性の青春サクセスストーリー」だ。『ナイト・クローラー』のように善悪の彼岸から投げかけられたクズの成り上がり物語。そこには道義的批判も憐憫も必要ない。その局面まで痛々しさややるせなさを顔面の圧迫演技で押し続けたホアンキンが、道化の本分である喜劇に道筋をつけたというあのシーンは映画史上に残る名演技だ。

 

 最後に厄介な「道徳」の問題が残る。不遇な境遇、精神疾患を持った人間の殺人の話を果たして「毒性の青春サクセスストーリー」などと賛美までとはいかなくても肯定してよいものだろうか。『タクシー・ドライバー』当時、ベトナム戦争によって浮き上がった「社会不適合」が現代に可視化された虐待や精神疾患というに社会的課題に姿を変えて今我々の前にある。アーサーが「生きる」意味を本人がもがき苦しみながら勝ち得た過程として我々がその物語を読み解くとき、物語の天秤の反対に異物の排除や同質性の強要という現代社会の病質性が乗せられているのであるならば、資本やシステムと手を結んだその病質性が強大であるこの状況を踏まえて、それに抗う「ジョーカー的な何か」は我々が生きづらさを克服する上で必要な「毒」ではないかと思えるのだ。

 

 僕にとってこの作品は最高に爽快で唯一無二な「毒性の青春サクセスストーリー」だったということをここにもう一度繰り返しておきたい。

 

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