ろぐの垂れ流し

LOVE定額の相手に着信拒否されたことあるか?!

映画『アイム・ユア・ウーマン / I'M YOUR WOMAN』監督:ジュリア・ハート

監督:ジュリア・ハート
製作:ジョーダン・ホロウィッツ、レイチェル・ブロズナハン
脚本:ジュリア・ハート、ジョーダン・ホロウィッツ
出演:レイチェル・ブロズナハン

   マーシャ・ステファニー・ブレイク

   アリンゼ・ケニ

 

 Amazon Original『I'm Your Woman』が良すぎて、宮崎弁で言うと「てげなひったまげたじ!(とても驚きました)」です。今シーズンならNetflix Originalのマイケル・ファズベンダー主演『ザ・キラー』と双璧を成す作品でしょう。ちなみに『ザ・キラー』は劇場で観ました。大好きです。

 さて、『I'm Your Woman』のあらすじをざっと説明します。

 ぼんやり深入りしないで済ませているけどもどうやら犯罪家業で稼いでいる夫のもとで幸せに暮らしているお花畑若妻(レイチェル・ブロズナハン)は、その実、子供をなかなか授からない悩みにも加えて、犯罪者の夫の被せる柔らかな鳥籠の狭い世界の中で鬱憤を抱えていた。ある日、夫が男の子の赤ちゃんを家に連れてくる。金にモノをいわせてぎりぎりアウトな方法で連れてきた里子。お花畑若妻はさすがに戸惑うが自分の子供を持つことを渇望していた彼女は未経験の子育て生活に順応しようと必死に努力する。そんななか、大ヤマを踏みに現場に行った夫が帰ってこず彼女も命の危険にさらされる状況に。夫の世界も人間関係も、眼の前の子育ても、自分さえも危険に巻き込む夫のやらかした事件の真相も全く不明のまま、夫の手下数人の手助けで自宅を脱出する。夫が重用していたらしいがどうも複雑な関係性を匂わす黒人男性(アリンゼ・ケニ)に助けられ逃避行を続けるが、頼りの彼も連絡が途絶える。そこに、裏稼業の世界で名の知られている謎のゴッドねーちゃん(マーシャ・ステファニー・ブレイク)が現れ手を差し伸べるが・・・。

 いやもう、脚本と演技が最高。ダルいテンポの会話劇でここまで締まった映画を一本作るって凄い!『4ヶ月、3週と2日』以来の快感かなぁ。車やテッポウの使い方も職人監督S・クレイグ・ザラー『ブルータル・ジャスティス』を彷彿させるほどキレッキレ。

 この作品で自分が何より好きなのは、フェミニズム、シスターフット、街場の包摂、そしてマッチョを否定せずに描く反マッチョ的家族愛、などなど素敵すぎる素材を作品中に散りばめ、暴力シーンは容赦なしに顔面に銃創を開ける容赦なさに加えて、メインテーマの「主人公お花畑若妻の覚悟と成長」のキーファクターに血縁や生い立ちやギフテッド的特性や思想信条に依るところをほぼ排したところです。

 では、この映画をドライブするキーファクターは何か?

 それは、「世界を知る」ことなのです。

 自動車の運転、人付き合い、赤ちゃんの扱い、テッポウの撃ち方、裏世界との距離感、銃撃戦での身の処し方、怪我人の介助・・・彼女は彼女の能力不足で卵が上手に焼けずに癇癪を起こしていたわけではなく、自分の世界を組み立てるために世界を「知る」ことを柔らかい鳥籠に阻まれていたことに気付き、世界の広がりに戸惑い、鳥籠の中に安住しそれなのにやりどころのない怒りを溜め込んでいた自分の矛盾に自覚して腹を立てていただけなのです。

 彼を知り己を知れば百戦殆からず。

 ラストの、微笑みのような、達成感を匂わせる不遜とも言えるあの素晴らしい表情の演技。

 庇護の大義名分のもとに「知ること」と「自己決定権」を奪われた状態が、どれほど個人を弱らせ、可能性と行動力を力を奪っているかを上質なドラマで示唆する優れた映画だと思います。

 おすすめです。

 最後に、蛇足ではありますが、この映画を観て思い出した女性が主役の、女性の連帯を描く私の大好きなハードボイルド映画をご紹介します。

『プロミシング・ヤング・ウーマン』
『女はみんな生きている』
フローズン・リバー

 

映画『帰れない山(LE OTTO MONTAGNE)』(イタリア/ベルギー/フランス)

監督:

フェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン

シャルロッテ・ファンデルメールシュ

出演:

ルカ・マリネッリ(ピエトロ)

アレッサンドロ・ボルギ(ブルーノ)

フィリッポ・ティーミ(ジョヴァンニ)

エレナ・リエッティ(フランチェスカ

 

【ネタバレ有り】

 

 とても個人的でささやかな、素晴らしい映画でした。映画的な広がりや情緒的な深さが無いという意味では全くなく、小さな愛すべき傑作です。「小さい」と感じたのは4:3の画角のせいかもしれません。山を捉えたその構図の中に人物をしっかり据えるために選んだ画角だと監督がインタビューに答えていますが、それはこの作品の風合いにも大きく影響していると思います。本作と同じく雄大な自然の中に美男子二人を配した『ブロークバック・マウンテン』(16:9ワイド)には埋めがたい寂寥感が画面に漂っていたのと対照的に、本作では主人公青年二人の友情が4:3の画角の中で、丁寧に、だけどもべったりとしない距離感で美しく語られています。

 

 “Monte Rosa(モンテ・ローザ)”と呼ばれるイタリア北部のスイスとの国境付近にそびえる4,000m級の山群が舞台です。そんな山々のある土地の一角をルカ・マリネッリ演じるピエトロの父親ジョヴァンニ(フィリッポ・ティーミ)が購入していて、ピエトロの親友ブルーノ(アレッサンドロ・ボルギ)がジョヴァンニとの約束を守るためにその土地に山小屋を建てるという前半のメインプロットを軸に、青年二人の友情とピエトロの父親を含めた3人の親密で且つもどかしいくらい離れ離れの人生の文(あや)や、それでもお互いを直接的、間接的に思いやる慈愛に満ちた関係性が描かれます。予告編や宣材写真に登山の様子が多く見られるために登山映画なのかと先入観を持っていましたがエクストリームな山登りの話はほとんど無くて、ざっくり説明すると「こんなところに『ポツンと一軒家』」的な「廃虚と化した山小屋を男二人でリノベーションしてみた」という題材の、非常に日本人が好きそうな映画です。主人公青年の二人が協力して山小屋を立て直す一連のシーンはとても心躍る本作の山場の一つだと言っていいでしょう。

 この物語を切なくも魅力的にしている大事な要素でありストーリーテリングの巧さである点が、主要登場人物3人の「決して全員が揃わない」その離れ離れの人生の文(あや)だと感じました。父親ジョヴァンニは息子ピエトロの親友ブルーのとの登山によってそこにいない息子と対話し、息子ピエトロはブルーノと山小屋を建てることで父親の想いに近づく。ピエトロとブルーノはピエトロの母親経由で間接的にお互いの近況を知る。どれもまどろっこしいと感じるような関係性なのですが、それはこの映画の「家族であったり親友であったりしても、物理的な距離が離れたり、気持ちが離れたりすることもある」という一貫しておおらかな人間観の現れであると思います。離れ離れになった経緯やその状況を残念に思わないではないけども、かといってそのきっかけについて誰かを断罪するような脚本にはしていないのです。ピエトロは親友ブルーノが自分の知らない間に自分の父親と親交を深めていたことに嫉妬する訳でもなく、とても謙虚にそこを手がかりに父親の存在を手繰り寄せようとします。特に山頂のノートを何度も読み返したり、登山ルートの色を変えてなぞったりするシーンは、大好きな横山秀夫クライマーズ・ハイ』のハーケンのエピソードを彷彿とさせて胸に迫るものがありました。

 

全体を通してとても静かなトーンの映画です。時代背景や内容は全く異なりますが映画のテンポがバーツラフ・マルホウル監督の『異端の鳥』にとてもよく似ていると感じました。たゆたうように流転するのです。『異端の鳥』では川の流れをモチーフに主人公少年の境遇や舞台を流転させていきました。そして本作では、画面奥に山を据えて主人公二人の関係性を変化させていくのです。近づいたり離れたりといった明示的なものでもなく、一度は仲違いしたがいずれ仲直りしたという単純なものでもありません。作中に2つとしてピエトロとブルーノが同じ関係性でいるシーンは無いと言っても過言でもないでしょう。焚き火を挟んでピエトロはブルーノに「お前と夏を過ごせればそれで良い」と言い切るのですが、その後、数シーン進んだところでネパールに恋人を作ってイタリアから離れています。もちろんこの脚本ではそんな態度を軽薄だとか不実だといった描き方をするのではなく、「人の人生は当然そういうものだ」という風です。流転するもんだ、と。人の亡骸についての描写にもそれは現れていて、例えば『マークスの山』や『神々の山嶺』では人の亡骸は凍ってしまい、その人の時間の停止を暗示します。ところが本作の人の亡骸は鳥に食べられて、死後も姿を変えていくところを描写されるのです。本人の望むように山に帰っていくのです。

 

基本的に前知識無しに気になった映画をふらりと観に行くことが多いので本作もその例に漏れず世界的なベストセラー小説が原作にあることを知らないまま劇場での鑑賞となりました。多読というほどではなくともそこそこの本好きを自称する私ですが、その原作小説『LE OTTO MONTAGNE』という作品を寡聞にして知りませんでした。世界は本当に広いですね。優れた文芸作品は世界に星の数ほど有り、そしてこれからも生まれ続けるわけで、映画でも音楽でもそれは同じです。自分の人生が有限であることに絶望するか、この航海が果てしないことに高揚を感じるか・・・。ちなみに「8つの山」という意味の原題から離れて『帰れない山』という邦題にしたのは、大成功だと思います。小説の方は読んでおりませんが、映画を観た感想としてはストンと腹に落ちる非常に良いタイトルだと感じました。作品を鑑賞した方にはこの「帰れない山」の意味というのは、あなたにとって「帰るべきだが辿り着けないところ」なのか「様々な事情やしがらみのせいで抜け出せないところ」なのか、どちらの意味だと感じられたか是非少しの間考えて欲しいと思いました。

 

映画『聖地には蜘蛛が巣を張る(英題:Holy Spider)』アリ・アッバシ監督

 ボーダー 二つの世界』の北欧ミステリの鬼才アリ・アッバシが手がけたイスラム世界のサスペンススリラー『聖地には蜘蛛が巣を張る(英題:Holy Spider)』を千葉劇場で鑑賞してきました。

 

 うわ・・・なんかとんでもない映画を観ちゃった・・・。映画の質は最高、素晴らしい作品。だけど投げられたメッセージを真正面から受けに行くと大怪我必至。鑑賞後の気分は『ミスト』並みの胸糞悪さ(わたしは『ミスト』の皮肉はとても好きです)。いや、本作のラストのあの挑発的な仕掛けは『ミスト』より悪辣だし『ジョーカー』のようなカタルシスは贅沢品だと言わんばかりです。めちゃくちゃ面白い(と表現するのが憚れるけども)、おすすめの映画ですよ。ただしアレックス・ガーランド監督『MEN』のような「悪しき連鎖を断ち切った女性の表情に浮かぶ安堵」のような映画的ご褒美は与えられませんし、『プロミシング・ヤング・ウーマン』のような痛快な復讐が成就することもありません。

 内容を端的にまとめれば、イランの聖地マシュハドを舞台に、宗教的倫理観を笠に着て本人の猟奇的な欲望や制御できない怒りをミソジニーに転化してしまった家族持ちの中年男性が地元の娼婦を狙うシリアルキラー化してしまう。いろいろ訳ありで動きの悪い警察に痺れを切らした、これまたいろいろ訳ありの女性新聞記者が現地取材に乗り込んで来て・・・というものです。

 

 久しぶりにオープニングで「この数分でチケット代の元とった!」と拍手してヒャッハーしちゃいたくなる極上ロングショットを頂きました。極東島国の人間にはなかなか馴染みのないイランの街並みを『ブラックレイン』かのようなバキバキのサイバーパンク風味で空撮してみせて鑑賞者の現実感を一発で断ち切ってしまう。

 

 そしてすぐに、騒々しくて埃っぽく街灯もあまり無いようなストリートでの惨劇をカメラが追うのですが、そこは割と前近代的な伝統的建築が溢れていることに気づいて軽く脳を揺さぶられます。実に上手い。カメラアングルの高低差で鑑賞者をストンと舞台に放り込む。

 

 そこにきて抜群の演技を観せるザーラ・アミール・エブラヒミ演じる女性新聞記者が舞台となる聖地マシュハドにやって来てメインプロットが走り出すのですが、そこからの感想を書くのはすごく難しいです。理由はネタバレを避けたいがためというものでもありません。



 なぜかと言えば映画の揺さぶり要素がすごく多いのです。鑑賞者がある一点にフォーカスしだすと、それが見えているかのように別の仕掛けをじわりと忍ばせてくる。ゆっくりと染み出してくるように、だけど次から次へと仕掛けを繰り出してくる。

 

 それがミステリ的伏線であったり、シーソーゲーム的シナリオの跳躍であったりしないのがこの映画の凄まじいところです。鑑賞者に解釈の幅を預けるようなゆるやかなものではなく、観るものの内面に図ったかのように気持ちの悪い葛藤を生じさせるのです。

 劇中に進行形で描かれる殺人行為の背景を、狂信的信仰やイランという国の社会情勢や歴史・文化によるものと安易に線引きを「絶対にさせない」。犯人やその家族のセリフや主張を揺らがせ、首尾一貫させないことで、宗教観や倫理観で建て付けられる尺度での殺人行為への是非判断を難しくする。ボーダーの漂白を成し遂げていると言ってもいいでしょう。

 二項対立ではない、善悪がグラデーションとして足元にのっぺりと塗りつけられた荒地を歩むような居心地の悪さ。

 特に私が印象深かったのは犯人役中年男性サイードの描き方です。イラン・イラク戦争に従軍した経験がPTSDその他の精神失調の引き金になっているという直接的な説明はありませんが、それでも戦後イランにおいて空虚感に苛まれていることは伝わってきます。が、そこに全く同情を挟ませないし、彼の悲哀や苦しみを掘り下げようともしない。いたって自己中心的で空虚で間抜けな人物として描かれています。憎むべき犯罪者としてピカレスクロマンなどこれっぽちも与えられない。私にはただただ、近くにいたら人殺しじゃなくても絶対に生理的に受け付けないキモいおっさんにしか見えませんでした。

 

 連続殺人を描く映画の中心にぽっかりと空いた空虚な犯人像。アッラーから与えられた使命に従い娼婦を殺す?

 

 いや、ぜんぜん意味わかんないっす。

 

 と、ここまで来て、これはリー・ワネル監督『透明人間』と似た文法を用いているのではないかと思いました。リー・ワネルは『透明人間』という素材を使って、直接的に「悪者を透明に」しちゃったのです。悪役の金持ち科学者に関する作中での人物描写はほぼ皆無。全くその人間像に肉付けがされない。鑑賞時にその狙いを私なりに解釈できた時に、軽く戦慄しました。

 殺人を含む加害行為を繰り返す人間の動機や心象を物語り上透明にすることによって、社会やそこにある人間関係にビルトインされた女性差別や残酷性を「システム」として逆に可視化させることに成功しているのです。

 本作『聖地には蜘蛛が巣を張る』でも、後半に我々の前に立ち上がってくるのは信仰と道徳を練り込んだ「社会システム」としての女性差別です。犯人家族や街の人々も加担する集団的差別思想の表明。『透明人間』では実像無き加害者を糾弾することで主人公女性が周囲から疑いや非難の目を向けられる(悪さをしているのが透明人間だから周囲の人間が加害者を認知できない)という実社会にありがちな二次加害を寓話的に盛り込んでいましたが、『聖地には蜘蛛が巣を張る』ではサイードの「信仰による殺人行為の正当化」にも聖職者兼裁判官がお墨付きを与えることもせず、本人の信念も『シャッターアイランド』的フレイバーでシャッフルされ蒙昧な混乱の中に霧消してしまいます。そして残るのは「社会やそこにある人間関係にビルトインされた女性差別や残酷性』という、西欧社会や極東アジアでも連綿と再生産されてきたシステムとしての加害行為です。

 

 イランだから、イスラム文化圏だから、貧困だから、独裁的政治形態だから、などという一切の線引きを許さず、我々男性の加害性をまるでペルシャ絨毯に包まれた娼婦の死体のようにごろんと足元に転がす、そんな映画でした。

 

 素晴らしい映画です。お勧めします。

 

映画『ベイビーわるきゅーれ2』

 公開直後の3/26に観たのですが、投稿しそびれていました。

 

 端的に結論から申し上げますと、是非劇場で観て頂きたい傑作です。1作目はAmazon Prime ¥400レンタルとU-NEXT配信にありますがいきなり2作目を観てもOKです。

 

 「殺し屋」が元締めの民間組織にマネジメントされて、ごくごく普通の市民的な生活をしている設定の映画です。監督は『ある用務員』で注目を集めた阪元裕吾さんですが、学生時代からずーーーーっと人殺しの映画を撮っているちょっと頭のおかしな職人気質のクリエイターです。

 

 というわけで、この映画も人殺しとアクションシーンがウリの映画なのですが、国産アクション映画の現在地を示す重要な作品と言えるでしょう。

 

 アクションシーケンスにちゃちさや粗末さは一切ありません。だけど派手なCGもワイヤースタントも背伸び感も全く無いのです。

 

 予算規模の大きくない作品らしい、工夫とアイディアと情熱だけが伝わってくる、本当に愛おしい、痛そうで残酷で眼を見張るほど暴力的な映画です。

 

 国産アクションで私の好きな映画を思い出すと『アイアムアヒーロー』や『ザ・ファブル』がありますが、両方とも原作コミック有りの割りと規模の大きな作品です。で、何が引っかかるかというと特殊効果がふんだんに使われているというところなのです。

 

 『ベイビーわるきゅーれ2』でも銃撃シーンで弾丸の曳光をCGで足していますが、それ以外には打たれた人間がワイヤーで飛ばされたり、壁を歩いたりするような特殊効果は採用されていません。生身の人間でやってナンボの香港スタントのようなクラフトマンシップに溢れています。素晴らしいです。この作品のおかげで、韓国産の『オールドボーイ』の雑多なしまりのない多人数の乱闘の迫力や『アジョシ』のリアルなのにエレガントなガンアクションへのコンプレックスが無くなりました。

 

 できるんだ、日本映画でもできるんだ!

 

 と、ここまで書いて、『ベイビーわるきゅーれ 1&2』の私にとっての最大の魅力はアクションシーンにはないと手のひらを返します。

 

 阪元監督は、自分が撮りたいアクション映画におそらくご自身のフェイバリットでかつ矛盾するものをあえて持ち込んで作品をバランスさせる困難さと努力を楽しんでいる様子。映画の方向性が『アウトレイジ』にはならないし、『レオン』のようなロマンス+年齢差のフレイバーを効かせたオーソドックススタイルに落ち着くこともない。

 

 『ベイビーわるきゅーれ 1』で私が感じたのは、わざと善悪の彼岸へたどり着かせない”もたつき感”でした。主人公二人がパンパンパンと人を撃ち殺す、でもカメラが流れるように次のカットに動くことなく死体をフレームの端に転がしておくのです。これが実に気持ち悪い。かといって、殺し屋の彼女らにそれを正当化させるだけの悲壮感ただようバックストーリーなんて用意しない。殺して、転がしておく。「なんなんだ、これは!」劇場で鑑賞がスタートした序盤にショックを受けたのですが、実はそれが「ムサイおっさん=世間という面白くない構図にドロップキックをかます女殺し屋二人の痛快活劇」というモチーフに絶妙にオーバーラップしていくの理解したとき、膝を叩くほど嬉しかったことを記憶しています。既存構造がおもろないんやったらそれ壊すのになんの躊躇がいる?と言わんばかり。

 

 そして『2』では会話劇と笑いの要素が前作より格段にパワーアップして、アクションと人殺しと実にほんわかした女性の日常というなんとも言えないミスマッチのマッシュアップを試みています。

 

 本作の笑いは『愛なのに』『街の上で』などの国産映画の最先端のレベルにあると言えます。とにかく脚本の精度が高い。アクション映画なのに、実は本作を通して私が一番好きなカットは将棋盤を挟んでアップになる髙石あかりのあの表情です。殴り合いで伊澤彩織の見せ場を最終盤に持ってきながら、女優「髙石あかり」の最高シーンを”演技”でもって中盤に置いてくる。上手いよ、阪本監督!同じ宮崎県出身として応援している髙石あかりの魅力的なシーケンスでした。

 

 殺し屋家業のパートナーであり同居人であるこの二人の会話で、どこにでもいるような人間らしい怠惰さや間抜けさを優しく包摂し、ベテラン渡辺哲のウザ絡みから『花束みたいな恋をした』トークに掘り下げて、強くて美しいシスターフットに昇華させる脚本は1作目から何倍にもレベルアップした非常に満足度の高い映画体験でした。

 

 それと最後に、私は1作目で大好きだった水石亜飛夢の出番が増えていて嬉しかったのですがちょっとインパクトに欠けるな・・・と感じていましたが、イライラしながらフライフィッシングベストの胸元に付けたピニオンリールをシャカシャカ伸ばしたり縮めたりするシーンが好きすぎて、それだけ200点です。

『地球の音楽』山口裕之 橋本雄一 編、東京外国語大学出版会

たまには文学でもなく、エンターテイメントでもなく、実用書でもなく、こういう純然たる教養書を読むのもいいものです。

・・・東京外国語大学の世界各地・各ジャンルの50名の専門家・研究者らが奏でる珠玉の音楽エッセイ集!(帯より)

いやはや、スゴ本でした。音楽エッセイなの各地の文化に触れられているのはもちろんなのですが、風俗、食いもん、歴史や宗教、民族の交流、そして政治や紛争など、非常に多面的な角度から語られており、これが1,980円(税込)で手に入るってどうかしてるぜ!と思いますよ。

差別や暴力や政治について暗く辛いところもフラットに書かれていて、読書を通じたダークツーリズムの側面も有りとても価値のある書籍だと思います。

音楽がお好きな方、海外旅行がお好きな方、トイレで読める短いエッセイが欲しい方(各国6ページくらいでまとめてあるので、トイレの時間にうってつけ)におすすめです。


【目 次】---------------------------------------------------

 prologue 橋本雄一

Ⅰ 東南アジア・オセアニア
 インドネシア 世界につながったガムランの響き  青山 亨
 フィリピン フィリピン音楽の変遷  山本恭裕
 べトナム いにしえから現代へ  野平宗弘
 カンボジア 革命の歌 カエプ・ソクンティアロアト
 ラオス  ケーンの響きに導かれて  菊池陽子
 マレーシア 多民族社会の芸能と音楽  戸加里康子
 タイ その存在は音楽に救われている「忘れられそうな他者」
 コースィット・ティップティエンポン
 ミャンマー 幾重にも織り込まれた歴史  土佐桂子
 オーストラリア 過去と未来を結ぶ音楽  山内由理子
 メラネシア ファスの伝統音楽とポップス  栗田博之
 ポリネシア ダンスとともにある音楽  山本真鳥
 ミクロネシア 身体を楽器にする  紺屋あかり
 コラム ワールドミュージックと東南アジア  平田晶子

Ⅱ 東アジア
 中国 ハルビンのストリートと大河に声を
  ――中国人ハーモニカの“声音”が響く 橋本雄一
 モンゴル 現代に甦る草原の調べ 山田洋平・髙橋 梢
 日本 日本の門付け芸・放浪芸  友常勉
 朝鮮半島/韓国 アリランからK-POPまで  金 富子
 台湾  ダイバーシティからコラージュ音楽へ  谷口龍子
 コラム  香港カントポップの歴史と現在
  ――鏡としてのポピュラー音楽  小栗宏太

Ⅲ 南アジア・中央アジア西アジア・アフリカ
 ベンガル 歌こそすべて 丹羽京子
 インド 寂静という音楽 
  ――古典に聴く  水野善文
 パキスタン 南アジアとイスラームの文化的融合  萩田 博
 ウズベキスタン ブハラ・ユダヤ人の音楽文化  島田志津夫
 イラン 自由を希求する音楽  佐々木あや乃
 トルコ 境域を超えて広がる音楽  林佳世子
 エジプト コプト正教会典礼音楽  三代川寛子
 セネガルコンゴ アフリカ音楽によせて  真島一郎
 ボツワナ カラハリ狩猟採集民グイ人の歌 松平勇二・中川裕
 コラム イスラムのなかの音楽  八木久美子

Ⅳ 東ヨーロッパ・中央ヨーロッパ
 ロシア ソ連時代の吟遊詩人―詩と音楽の出会い 沼野恭子
 ウクライナ 音が弾んではしゃぎ出す
  ――ウクライナの音楽文化  前田和泉
 チェコ  「ヴルタヴァ」の聴き方       篠原琢
 ポーランド ロック歌詞と検閲  森田耕司
 ルーマニア 大自然と文化の交差が生んだ音楽  曽我大介
 オーストリア 多様な民族の文化が織り上げた
        ウィーン・オーストリアの音楽  曽我大介
 ドイツ 「ドイツ音楽」の呪縛?  山口裕之・西岡あかね
 コラム ユダヤ音楽――多様な音楽文化の交差点  丸山空大

Ⅴ 西ヨーロッパ・南ヨーロッパ
 イギリス グローバルとローカルの音楽 フィリップ・シートン
 フランス ルグランは「雨傘」と「はなればなれに」
       なっても  荒原邦博
 イタリア 様々な地域から聞こえるラップの響き 小久保真理江
 スペイン フラメンコは変化し続ける  川上茂信
 ポルトガル どこまでも過去に向かう現在  黒澤直俊
 コラム ビートルズとデニムジーンズ 福嶋伸洋

南北アメリカ
 ブラジル “ブラジル音楽”の黎明
  ――ヨーロッパとブラジルの狭間で  武田千
 キューバ 文学から聞こえてくるソン  久野量一
 カリブ海地域 マルティニックから谺するカオスの音声
  ──ジャック・クルシルへの手紙 今福龍太
 アメリカ合衆国 ジャズ編 「ジャズ」の現在
  ――映像資料と文献を通して  加藤雄二
 アメリカ合衆国 ロック編 ロックの歴史
  またはパンデミックしたウィルスについての記憶 沖内辰郎
 コラム 地球の音楽 
                     音楽の源には吟遊詩人たちがいる  今福龍太

 epilogue 山口裕之

『リディームチーム: 王座奪還への道』Netflix

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 普段はプロスポーツの試合はほとんど観ませんが、スポーツドキュメンタリーは大好きです。映画でも『マネーボール』や『エニイ・ギブン・サンデー』なんかが大好物です。

 

 本作『リディームチーム: 王座奪還への道』は、バスケットボール男子アメリカ代表チームが2004年アテネ五輪で惨敗したことを受けて、2008年の北京五輪での金メダル奪還を絶対的使命として課された選手たちの軌跡を追うNetflixオリジナルのドキュメンタリーです。これがまた良く出来ていまして。

 

 何が面白いかって、チームビルディングとマネジメントの素材がこれだけ活き活きと緻密に捉えられている業界といえばやっぱりプロスポーツとなるわけで、池井戸潤原作のお仕事ドラマが吐き気がするくらい嫌いな私にはこういうコンテンツの方がよほど学びと刺激が多いのです。

 

 本作前半の、世界最高峰の技術を持ったスタープレイヤーが集まるアメリカ男子代表チームが機能不全に陥ってわけが分からん間に各国の格下チームにボコられるギリシャオリンピックの様子などはたまらなくスリリングです。さらに2008年北京で復活を遂げるアメリカ代表がやったのがパラダイムシフトと献身的プレーを身につけることだったというところなんかは相当日本人好みの展開だと思われます。

 

 人付き合いの苦手なコービー・ブライアント先輩の、チームにだんだんと馴染んでいくハートウォーミングなエピソードも好きですが、私が一番好きなのは北京大会の代表チームを指導したデューク大学ブルーデビルズのヘッドコーチ・マイク・シャシェフスキーがいかにも人格者かつ「智将」タイプだというところです。

 

 サッカーだと岡田武史監督が大好きなんですよね。

 

 栗山監督率いるWBC日本代表選手の言動や関係性を観ていると、勝負とはまた別の国際大会の醍醐味というか大事さがあるんだろうなと感じるんです。

 出塁してきた相手チームの走者とコミュニケーションをとる日本代表の野手の仕草が本当に素敵だったんですよね。

高野秀行・清水克行『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』 集英社文庫

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 私の中では佐藤究→丸山ゴンザレス→高野秀行で繋がったノンフィクションライターの高野氏と中世歴史研究者の清水氏の書評対談本です。

 

 かなり昔にHONZか何かで紹介されていて評判が良かったのを思い出して手に取ってみたのですが、噂通りに面白い凄本でした。

 

 選書のセンスもさることながら高野氏、清水氏両名の溢れ出る知識教養から繰り出される脱線トークが興味深くて、もうお腹いっぱいになります。紹介されている本を読まなくても、相当な満足感とトリップ感を味わえる贅沢読書体験。

 

 根底に流れるお二人の人間という生き物への愛情と、そこはかとなく貫かれたアナキーズムとのマリアージュがとても良い味付けになっています。

 

 さらに装丁が非常に格好よろしい。

 

【目次】
第1章『ゾミア』ジェームズ・C・スコット
第2章『世界史のなかの戦国日本』村井 章介
第3章『大旅行記』全8巻イブン・バットゥータ
第4章『将門記
第5章『ギケイキ』町田 康
第6章『ピダハン』ダニエル・L・エヴェレット
第7章『列島創世記』松木 武彦
第8章『日本語スタンダードの歴史』野村 剛史