ろぐの垂れ流し

LOVE定額の相手に着信拒否されたことあるか?!

『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』ヤニス・バルファキス 読書感想

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ギリシャ金融危機の際にギリシャ財務大臣を務めてた経済学者が書いた本。

たしかに面白かった!

『信用の新世紀』『日本が売られる』『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼 』『進歩: 人類の未来が明るい10の理由』なんかに書かれている事がこの本でギュッと結ばれた感じ。

国の財務を預かっていた人が、「基本的に金持ちは税金を払わない仕組みを作り、貧乏人はカツカツのところから税金を出すだけなので、総論として国を維持するための税収は常に足りていない。だから足りない分を国債で賄い、債務超過はある程度不可逆的なもの」って言い切られると、ねぇ。

人類史において市場ができた時代と、市場社会になった時代は全く異なっていて、交換可能価値にばかり重きを置かれるいわゆる資本主義社会というのは人類の歴史の中でも随分最近のもので経済活動においてさえ普遍的なルールではない事。封建制以前の宗教が支配の正当性を民衆に刷り込むためにその機能が果たされていた事と同じように、現代の経済学は資本主義支配の正当性を裏付けるための仕事しかしていない、とあっち側の人だった学者が言うんだもんなぁ。

とにかく、「考えろ、疑え」だそうです。

結論はテクノロジーを肯定的に利用し、人間の人間たる特性を最大限に使い、ベーシックインカム的な方法論で資源の民主化を進めるべきだ、という考え方の人でした。

 

 

 

危機とサバイバル――21世紀を生き抜くための〈7つの原則〉

危機とサバイバル――21世紀を生き抜くための〈7つの原則〉

 

 

 

進歩: 人類の未来が明るい10の理由

進歩: 人類の未来が明るい10の理由

 

 

 

 

 

日本が売られる (幻冬舎新書)

日本が売られる (幻冬舎新書)

 

 

 

信用の新世紀  ブロックチェーン後の未来 (NextPublishing)

信用の新世紀  ブロックチェーン後の未来 (NextPublishing)

 

 

『シンクロナイズドモンスター/COLOSSAL』(カナダ 2016) 映画感想

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監督: ナチョ・ビガロンド
出演: アン・ハサウェイ      グロリア
            ジェイソン・サダイキス   オスカー
            ダン・スティーヴンス    ティム
            オースティン・ストウェル  ジョエル
            ティム・ブレイク・ネルソン ガース

<ストーリー>
酒に溺れて失敗ばかりのグロリアは、恋人にも愛想をつかされ、同棲していたニューヨークのマンションを追い出されてしまう。失業中の身で行き場もなく、渋々ながらも故郷の田舎町に引き返す。するとそこで幼なじみのオスカーと偶然再会し、彼が営むバーで働かせてもらうグロリア。そんな中、韓国のソウルに突如巨大な怪獣が出現し、世界中が固唾を飲んで見守る衝撃の事態が発生する。ところが、そのニュースを見ていたグロリアは、あるとんでもないことに気づいてしまう。なんとその怪獣が、グロリアと同じ仕草をしていたのだった。驚愕の事実に混乱しながらも、怪獣にいろんなポーズをさせて面白がるグロリアだったが…。(allcinema) http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=361332
 
まず、読んだところで全く頭に入ってこないこのストーリーに惚れて鑑賞を決めました!
それにしても、なんとも不思議な味わいの映画ですね。途中で3回くらいテイストが変わる。というかジャンルが変わるくらいの勢い。

 

とにかく、ダメ女子を演じるアン・ハサウェイの魅力が爆発。序盤の寝落ちネタの天丼は相当好きです。終盤の流れを変える転機になるのも寝具ネタが絡みますしね。あのまま『リターン・トゥー・マイ・ラヴ/Lonesome Jim』みたいな雰囲気で進むのか・・・と思っていたら、中盤以降に結構なサイコ要素が入ってきて、それがまた演技も演出も上手いもんだから相当ひりついてきて。
最後はパシフィックリム!
それにしても、凄く凄く、観ているものを居心地悪くするメッセージを持った映画です。
アン・ハサウェイがキュートで、ラストはカタルシスがあるからいいけど、そうじゃなかったら観てられないくらい登場人物の男たちが全員ダメ人間。
 
知的で洗練されているけれども、「建前論」を振りかざし、他人の欠点を容認できないマウンティング野郎。
優しさを持っているようで、ただただ同調圧力に屈しているだけの哲学の無い男。
他人にどう映るかを計算してある程度は自分を装えるけど、本当はひたすらに自分に自信が無いから、支配的な方法でしか他者と交われない、圧力を受けて苦しんでいる他者を見て初めて自分の影響力を実感するサイコパシ男。
 
 
原題のCOLOSSALは「巨大な」という言葉。
大きな世界と小さな自分。小さな世間に肥大した自我。
 
ジャンル映画のはずなのに作品の底に流れるのはこっちが居心地悪いくらい辛辣な人間描写。「そこがメインなのか!」と鑑賞後に膝を打つ、とても上手い脚本。
 
でも、凄くヘンな作品だ。
 
結局、グロリア(アン・ハサウェイ)が自分や現状を打開するのに男を拠り所にしなかったという事が大事なんだろうな。
 
このフォーマットで「女性の自立」と「大人、からの成長」を見せられるとは。恐るべし。

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『二ツ星の料理人(Burnt)』 映画感想

『二ツ星の料理人(Burnt)』

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監督: ジョン・ウェルズ
出演: ブラッドリー・クーパー  アダム・ジョーンズ
    シエナ・ミラー      エレーヌ
    オマール・シー      ミシェル
    ダニエル・ブリュール   トニー
    マシュー・リス      リース
    ユマ・サーマン      シモーネ
    エマ・トンプソン     ロッシルド医師

 

 これは良かった!あんまり期待せずに見始めたけど、凄く作りが良い!冒頭の牡蠣剥きの禊ぎのプロットからグッと掴まれて、料理評論家としてユマ・サーマンが出てきたときにはもう夢中になってた。

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 全編に料理やレストランに対する愛情が溢れてて、音楽は抑えたものだけど躍動感あふれる厨房のシーンが沢山。途中、フライパンを使う伝統的フレンチの料理法と真空低温調理の理論新旧対決辺りで描写がバタついた感はあったけど、かなり丁寧に料理を軸に映画を撮ってる。殆ど客席は映さない。シェフ、スーシェフ(副シェフ)、支配人、ギャルソンの役割分担とキャラの書き分けを相当しっかりやりながら、あんまりメインプロットにごちゃごちゃかませずに主人公のシェフ、ブラッドリー・クーパーの料理シーンを中心にきっちり目のカメラワークで映画は進行する。

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 ブラッドリー・クーパーの分刻みの指示に厨房全員から" Yes, chef!"の掛け声。カメラはブラッドリー・クーパーとソシエ兼スーシェフシエナ・ミラーの手元に行き、付け合わせのトッピングとソース、お皿を綺麗にする動作の後、お皿の縁を真横から押すようにしながら、ホールに向かって、

“ Service!! ”

 このセリフに何度痺れたか。

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 ナイフの粘りを確かめたり、後進の若手がデシャップを務めるときに、メインの盛り付けをちょっと直してあげたり、細かいけど堪らない演出がいっぱい。ヒロインのシエナ・ミラーの腕に火傷跡をわざわざ付けてる細かさ! 三ッ星フードレストランの方の「シェフ!」のジョン・レグイザモのバンテージを思い出した。個人的には、度々厨房の掃除のシーンを使ってくれていることが嬉しかった。厨房スタッフがその他大勢じゃなくて、一生懸命その日の汚れを一生懸命落としている姿は清々しい。脚本において殆ど必要性のないそんな店仕舞いのシーンを差し込んでくれることに、レストランというものへの深い理解と愛を感じた。

 物語はいくつかのロマンスを絡めながら、腕はあるけど破壊的な性格のブラッドリー・クーパーの浮き沈みで進んでいくのだけど、結局のところ、凄く気の小さい自信の無い自分をさらけ出して一皮剥けるおっさんの成長物語。

 ライバルとのあの朝食のシーン、泣けたなぁ。あのプレーンオムレツ、美味かったんだろうなぁ!

 ブラッドリー・クーパーは間違いなく格好いい!情けないところをみせても上手い。いい役者さんですね。

 レストランの支配人、お師匠さんの息子役の彼、『誰よりも狙われた男』にも出てるけど存在感ある。気になります。

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 全体的に、僕の大好きな「ディナー・ラッシュ」を料理人主役の人情話に書き換えたような作りでとてもお好みの味わいでした。とにかくユマ・サーマンにやられたな〜。

 レストラン映画の上位に入りました。

 

<今のところの好きランキング>
① シェフ 三ツ星フードトラック始めました
②ディナー・ラッシュ
③ 二ツ星の料理人(Burnt)
ソウル・キッチン
⑤恋人たちの食卓

『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』ハンス・ロスリング 他

ジャック・アタリの『危機とサバイバル』、堤未果の『日本が売られる』、森永卓郎の『なぜ日本だけが成長できないのか 』などを読んでいると、どうしても世界や未来に対して悲観的になってしまうので、この本を手にとってみた。

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世界各国の人々の所得、健康、教育などのデータを軸にして、すでに我々が持っている先入観を修正しながら、世界を正しく理解して知識をアップデートしていくための「構え」についての本。
 以下の10の「思い込み」・・・つまり人間の本能的なバイアスについて傾向と対策が記されている。私としては①②⑩に強い自覚があるので、これからニュースや情報に触れる時には十分に気をつけたい。
 
①分断本能
 「世界は分断されている」という思い込み
②ネガティブ本能
 「世界がどんどん悪くなっている」という思い込み
③直線本能
 「世界の人口はひたすら増える」という思い込み
④恐怖本能
 「実は危険でないことを恐ろしい」と考えてしまう思い込み
⑤過大視本能
 「目の前の数字がいちばん重要」という思い込み
⑥パターン化本能
 「ひとつの例にすべてがあてはまる」という思い込み
⑦宿命本能
 「すべてはあらかじめ決まっている」という思い込み
⑧単純化本能
 「世界はひとつの切り口で理解できる」という思い込み
⑨犯人捜し本能
 「だれかを責めれば物事は解決する」という思い込み
⑩焦り本能
 「いますぐ手を打たないと大変なことになる」という思い込み
 
 文章はユーモアに富んでいて非常に読みやすく、図表の類が分かりやすくて素晴らしい。そして各章の盛り込まれている著者の世界各地での実体験やエピソードが活き活き語られていて、読み物としてもとても優れた本である。
 著者が末期のすい臓がんの闘病中に、わずかな余命の中で執筆していた(実際には未完のまま亡くなられて協働していた家族が完成させた)というエピソードを知るにつけ、「ファクトフルネス」という概念、真実とデータを重んじる事の尊さが再認識される。
 我が国の真実とデータの取り扱いが如何に残念な状況かということも含めて、だ。
  そして、本書の冒頭にあるように世界の貧困率はここ20年で大きく改善しているという。極度の貧困の中で暮らす人々の割合は、20年前には世界の人口の29%だったが、現在は9%まで下がっている。
 地球規模のマクロな視点ではそういった改善が見られるが、足元の日本国内に目を向けると、そんなトレンドに乗っているようには思えない。著者は「旧式な西洋諸国の考え」が時代遅れで間違ったものになっていると警句を繰り返しているが、日本でも増えないパイの再分配がうまくいかず、貧困層の拡大が起きているようで、やっぱり暗い気持ちになってしまった。
 
 エビデンスベースで政策決定をできない国だからと諦めていいものだろうか。
 

 

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

 

 

日本が売られる (幻冬舎新書)

日本が売られる (幻冬舎新書)

 

 

 

なぜ日本だけが成長できないのか (角川新書)

なぜ日本だけが成長できないのか (角川新書)

 

 

 

日本人の原罪

事実や数字をかくも軽んじる日本人の価値観の上位にあるもの。日本人の反省と学習と成長を阻んでいる " it "って何なんだろう。

数も数えられない役所に自分や家族の財産や生命を喜んで預けたがるほど、僕はマゾヒスティックな人間ではない。

政権交代にもつながった「あれ・・・この年金誰のなん?5,000万件くらいあるけど」問題から干支も一周しました。

日本人が真面目できめ細やかで几帳面だなんて、まだ信じている人がいるとしたら、考えを改めないとエライ目に遭いますよ。

f:id:upaneguinho:20190127154123j:plain『 ある一つの主義に基づき、ある対象が在ることにする。奇妙なことに、これが、歴史的にも同時代的にも、そして昔も今も日本で行われてきたことであった。精兵主義は確かにあった。しかしその主義があったということは精兵がいたということではない。全日本をおおう強烈な軍国主義であった。だがその主義があったということは、強大な軍事力があったということではない。

 ところが奇妙なことに、精兵主義があれば精兵がいることになってしまい、強烈な表現の軍国主義があれば、強大な軍事力があることになってしまう。これはまことに奇妙だが、形を変えれば現在にも存在する興味深い現象である。そしてこの奇妙な現象が日本の敗因の最大のものの一つであった。そしてそれを思うてき、小松氏が、これを二十一ヵ条の冒頭にもって来たことは、私などには、なるほどとうなづけるのである。
 なぜこういう奇妙なことが起こるのであろう。日本人全部がいかに激烈な軍国主義者になったところで、昭和のはじめの日本の常備兵力は、実質的には日露戦争時と変らぬ旧式師団が十七個あるだけであった。総兵力十七個師団。約三十万人余。これは、当時の日本の経済力を考えれば、ほぼ精一杯の師団数であったろう。通常、完全編成の一個師団の兵員は一万五千だが、日本の師団は二万。その理由は、自動火器の不足を単発の小銃の数で補うためだったといわれる。

 その火力はアメリカの戦艦の五分の一以下、簡単にいえば、五個師団半の火力の総計でやっと戦艦一隻分の総火力である。そして伊藤政徳氏によると、この十七個師団の中で、アメリカの海兵師団と対等にわたりあえる能力のある師団は、一個かせいぜい二個であったという。
 日本全体がどのような主義を奉じようと、奉じただけでは、現実にはこの数がふえるわけでも減るわけでもない。全日本人が強烈な軍国主義者になれば一気にこれの能力が十倍百倍するわけではなく、海兵隊と対等でわたりあえる師団が一個師団か二個師団かという現実には、何の変化もありえない。』p.75


『 ところが奇妙なことに、昔も今も、この馬鹿げた発想が存在するのである。その昔、火力その他から厳密に計算して、日本の師団のうち海兵師団と対等でありうるのは一、二個師団、と公然と発信する者がいれば、それだけで、その者は日本国民の資格のない者、すなわち非国民であった。だがしかし、それへの反論は、常に厳密な合理的数字による反論ではないのである。』p.77



『 結果として一切が水増しとなり、すべての「数」が、虚構になる。それを知ったとき、最終的には、すべての命令も指示も理論も風化し、人はただ自己の経験則だけをたよるのである。』p.85


『 そしてその第一歩は何だったのだろう。「ない」ものを「ない」と言わずに、「ない」もの「ある」というかいわないかを、その人間の資格としたことであった。一言にして言えば「精兵主義はあっても精兵はいない」という事実を、一つの「事実」としてそのまま口にできない精神構造にあった。最後の最後まで「員数」すなわち「虚数」を「実数」としつづけ、そして「実数」として投入された「員数」は、文字通りの「員数」として、戦闘という実質の前に、一方的に消されていったわけである。』p.97

 

「日本はなぜ敗れるのか --敗因21ヵ条」山本七平

十三人の刺客(1963) 

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十三人の刺客』 1963年 日本 125分

監督: 工藤栄一
出演: 片岡千恵蔵  島田新左衛門

    里見浩太郎  島田新六郎
    内田良平   鬼頭半兵衛
    丹波哲郎   土井大炊頭利位
    嵐寛寿郎   倉永左平太
    西村晃    平山九十郎
    月形龍之介  牧野靭負
    河原崎長一郎 牧野妥女
    水島道太郎  佐原平蔵
    加賀邦男   樋口源内
    沢村精四郎  小倉庄次郎
    阿部九州男  三橋軍次郎
    山城新伍   木賀小弥太
    菅貫太郎   松平左兵衛督斉韶
 

2010年リメイクが大好きな『十三人の刺客』、1963年のオリジナルを観てみました。

 ・・・だけども残念ながら、僕には三池崇史2010年版の方が面白く思えました。

 片岡千恵蔵が劇中で言った通り、刀で殺し合いをしたことがある人間なんていない時代の侍の集団闘争がクライマックスに据えられていて、彼らといえどもいざ殺し合いの場に立てば剣道修行なんて頭らか離れて無様で悲惨な茶番に陥るというのは本作の大事なテーマだと思っています。だから野球バット振るような刀の扱いや、刀を振ったあとにピョンっと後ろ足が跳ねてしまうような滑稽な役者の所作なんかは敢えてのリアリティだと思って納得ずくで観ていました。本作で最も冴えわたる剣技を持っているらしい西村晃演じる平山の実戦でのわやくちゃぶりも、その演出の延長戦上にあればこそ。

 しかしどうしても時代的・技術的制約以外の部分で絶対的にこの映画のアクションシーンは丁寧さが足りないと感じられたのです。日本刀のチャンバラはまだしも、槍で突く動作になんかに軽さがどうしても目につきます。高所から丸太を落とすシーケンスでも「おいもっと直接的にダメージを与えられる設置場所とかタイミングとかがあるでしょ!」と突っ込みたくなります。そもそも、あれだけうまい事隘路に敵を誘導できる街道の設計ができていたのであれば火と油を使わないのはなんとも不合理。それくらい明石藩は地理的に追い込まれていたはず。油が手に入らなかったのか、宿場が燃えてしまうのをためらったのか。それも金に物言わせる片岡千恵蔵の段取りからすると矛盾を感じざるを得ない。それらの点については三池崇史版は偏執的なほど緻密に構成していました(ぶっ飛んだ蛇足も多い映画ですが)。本作の鑑賞後、その点においてどうしても三池崇史版を高く評価していたのです。

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 そう、片岡千恵蔵と言えば、明石藩が宿場に着いてからもずっと庄屋の屋敷の様なところで宿場の見取り図を見ながら戦況の報告を受けておりました。・・・おいおい十三人しかいねぇんだろ!現場行けよ!! 千恵蔵さんのとなりには嵐寛寿郎演じる倉永が控えており、戦況を報告に来るものが時折屋敷に入ってくる。ということは13人しか手勢をそろえられなかったのに3人も現場から遠ざけているっていうことになりますわな。多数の敵と対峙している他のメンバーはこれに納得しているのかしら。宿場を見渡せる櫓組んどきゃリアルタイムで戦況把握と采配ができるだろうに。

 それに比べると、敵方のリーダー内田良平演じる鬼頭半兵衛の泥臭い働き者っぷりと言ったら!(本当の意味で言えばお殿様の松平斉韶が一番偉いけど、彼はポンコツでただのお荷物) すっかりカオスに支配された宿場で上司を逃がすためにバシバシと意思決定を下しながら本人も刀を振るい奔走します(半分ぐらい罠のある方に行っていますけど)。中盤に片岡千恵蔵演じる島田新左衛門が鬼頭半兵衛を「手ごわい相手だ」と認めているシーンがあります。侍として筋の通った強敵である、と。そんな前振りもあるので、給与所得者の小市民である自分なんかは俄然、鬼頭半兵衛を応援したくなって話の筋をどう追っていいのか混乱を来すほど。生きろ!半兵衛!!

 泰然としつつ腹に据えた覚悟をもって事に当たる刺客のリーダー島田新左衛門と、邪悪なうえに小物っぷりも味わい深いポンコツ上司である松平斉韶をなんとか明石まで帰そうと奮闘する武闘派官僚のような鬼頭半兵衛。この二人のコントラストを強めるために島田新左衛門(片岡千恵蔵)はラストのラストまで刀を抜かせてもらえなかったのか。それもあるかもしれないけども、この作品にはもう一つ大事なテーマがあるように思われました。

 島田新左衛門も鬼頭半兵衛も、自分の役割というものを組織でのポジションや偉いさんへの忖度や職掌のようなもので決めていません。セリフとして出てくる「侍の一分」なんていうタテマエというかキレイゴトさえも、突き詰めていくと二人にとってはどうでもいいこととして生きているように見えたのです。二人には、生きる理由も死ぬ理由も「外(そと)」には無さそうなのです。とても純粋で内発的な動機をもって侍として働いているように映りました。

 島田新左衛門にとってそれは逆境を楽しむような勝負師の静かな倒錯性だし、鬼頭半兵衛にとっては職業人としてのばっちばちのプライドだったと見ました。

 ラストでその二人が対峙する時に島田新左衛門は鬼頭半兵衛の「役割」を尊重し、全うさせました。もちろん自分の「役割」も果たし、それを部下にやらせたがために部下のその後に禍根を残さぬよう自分一人で始末を付けたのです。そのためにあの場でずっとその機会を待っていたのか!

 なんと、この文章を書きながら脳内再生をしてみると恐ろしく良くできた脚本ではないですか。

 自己の矜持や信念に拠らず、何事も空気や同調圧力に負けて判断を下し、その結果からも逃げ回る現代人に対してこんなに辛辣な脚本もないでしょう。死んじゃおしめぇよ、とは言いますものの、『死んでるみたいに生きたくない』と渡辺美里も歌っています。刀で切った張ったをするよりも、もっともっと緩やかな死を迎えている人たちって今の世の中には相当数いるような気がしてなりません。

 当時、この作品は時代劇の「型破り」でした。
 「破」ったのはチャンバラの型でした。劇中の侍たちの戦いは滑稽なほど格好悪くて混乱している。
 ところが、人物の書き方や筋書きはとても繊細で王道を行くもの。

 そして三池崇史監督は1963年の工藤栄一版『十三人の刺客』が破綻させた集団チャンバラをしっかりと再構築し、起用した役者たちの現時点におけるポジションを絶妙のバランスで暴走させています。

 前言撤回します。どちらも歴史に残る名作でした。

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『シング・ストリート 未来へのうた』

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監督: ジョン・カーニー
出演:
フェルディア・ウォルシュ=ピーロ    コナー
ルーシー・ボーイントン                        ラフィーナ
マリア・ドイル・ケネディ                    ペニー
エイダン・ギレン                                    ロバート
ジャック・レイナー                                ブレンダン
ケリー・ソーントン                                アン
ベン・キャロラン                                    ダーレン
マーク・マッケンナ                                エイモン
ドン・ウィチャリー                                バクスター

 

『シング・ストリート 未来へのうた』を観ました。

 かなり久しぶりの映画鑑賞です。ずっとオリジナルのSUITS観てたんですが、アメリカのドラマは中毒性高過ぎて危険。時間がいくらあっても足りない!! で、映画に戻ろう!ってことでどの映画を観るかなと悩んでいました。いきなり重いのも辛いし、かといって多少心に引っかき傷でも残してもらわないと連続ドラマに戻りかねない・・・。

 で選んだのが本作。公開当時に評判が良かったので気になっていました。ジョン・カーニー監督の『はじまりのうた』が大好きだったので。この映画も監督得意の音楽映画ですけど、音楽も万能じゃないっていうほろ苦さを残すストーリーはあざとくなくて良かったです。

 それと、イギリスやアイルランドの映画って、特に不況を描いた作品では生々しいほどの人間関係をえぐるけども(それが代え難い魅力でもありますが)、本作はそこに重点を置かずに割とサラッと描いている。好き嫌いの問題だと思いますが、自分には良い塩梅でした。なぜかというと、繰り返されるボケのパターンや大人のオモチャなんかのネタの散りばめ方が上手でそれがすごく楽しめたから。あまり湿っぽいところに意識が集中し過ぎなかったのは鑑賞にプラスだったと思うのです。

それに、主人公とヒロインの未来を暗示するラストをあんな描き方するつもりだったら、せめて中盤はカラッと作りたかったに違いない。

 

 話は少し逸れるのですが、バンドメンバーのキーマン(メガネの彼)が『ハイ・フィデリティ』のジョン・キューザック若かりし頃に思えて仕方がない。そして主人公のお兄さんはハイ・フィデリティのジャック・ブラックの若かりし頃に思えて仕方がない。
つまり、僕には『ハイ・フィデリティ』のあのレコード屋の店員がアシストした青春ラブストーリーとして楽しめたのです。

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『ハイ・フィデリティ』のジョン・キューザック(左)にジャック・ブラック(右)

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本作でエイモンを演じるマーク・マッケンナ。笑いの半分は彼起点。

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主人公のお兄さん役ジャック・レイナー。『リトル・サンサー』のお兄さんを彷彿させるラストシーケンス。



 最後に、この映画のラストの描き方に魂が震えました。貧乏や大人の支配に立ち向かうために若さと行動力と音楽は武器にはなれど万能薬ではないという暗示。未来に挫折が待っていたとしても自分で見て触ってみるまで立ち止まりたくないという愚直さ。


 お幸せ駆け落ち映画じゃない展開は流石です。